あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

サードアルバムにおねだりしたい5つのこと

わたしの憶測が正しければ、BABYMETALのサードアルバムはすでに出来上がっているはずである。したがって今更おねだりしても遅いのだが、しかしそれを言えば、一介のファンごときが(以下略)

(1)メタルとディスコのクロスオーバー
くどいようだが重ね重ねおねだりせざるを得ない。何しろ両者の相性は抜群だし、踊りも見どころ満載の仕上がりになること間違いなしだからだ。試しにちょっと想像してみてほしいーー躍動感あふれるファンキーなベースラインにキラキラ&ゴリゴリのギターが乗っかり、さらにそこへツーバスの連打が加わってくる有様を。

(2)デス・エン・ロール
巨大キツネ祭りSSA公演の神バンドソロを体験した瞬間から、わたしはデス・エン・ロールすなわちデスメタルとロックンロールとが融合するスタイルをおねだりして止まない。カワイイ、カッコイイ、ストレンジ感の3要素のみならず、適度なレトロ感をも落とし込むことができるという意味で、BABYMETALにとって非常においしいサブジャンルなのではあるまいか。

(3)BBM曲とSU-METALソロ曲の合体
YUIMETALとMOAMETALによる獰猛可憐なラップパートとSU-METALによるメロディアスな歌唱パート、これらが巧みに按配された、いままでにありそうでなかった構成の楽曲をおねだりしていく。リンキンパーク風のオシャンティーなのも悪くないが、理想を言えばスリップノットの『AOV』みたいな泥臭いのがいい。

(4)一味違うエモさ
前回お寄せいただいたコメントにしれっと便乗する。まさにlookwhoさんのおっしゃる通り、例えば喪失感や孤独感、または失望、葛藤、諦念など、いわゆる陰性の感情をテーマにした楽曲をおねだりしたい。それらがメタル特有の荒々しさや破れかぶれの勢いに溶け込むとき、さながらオクシモロン(撞着語法)のような効果でもって聴く者の心をいっそう強く揺すぶるからだ。

(5)生々しい音作り
ファーストとセカンドの音作りは個人的に言って70点である。嫌いな音が出るCDを何百回と聴くわけがないのだし、Jポップとして見れば大健闘の部類だとも思うが、とはいえ、音という音が何やら半透明のすべっこいフィルムで覆われているかのような、ダイレクト感に乏しい、エフェクト過剰なサウンド・プロダクションには少々不足を感じる。耳から押し入って脳をボコボコにするような生々しい音をおねだりさせていただく。

❇︎コバさん、もう1年待つとなると正直しんどいです。

エモスウィッチ・エンゲイジ

いまいち合わないなと思って遠ざけていた音楽が、半年から数年、あるいはもっと長い空白をあいだに置いて何気なく聴いてみたときに、危うくパニック状態に陥るほど心を揺すぶってくることがある。

わたしたちはそのたびに「は? ウソだろ? こんなに良かったっけ?」と目を白黒させ、不思議の感に打たれるわけだが、しかし何のことはない、手前の好みが変化したんである。もしくは手前の耳がその音楽に追いついたんであり、手前の受け入れ態勢が整ったんである。

そんなわけで近頃は米国のメタルコア・バンド、キルスウィッチ・エンゲイジを聴く。かつての苦手意識が嘘のようにぞっこん首ったけである。何しろエモい。すこぶるエモい。あんまりにもエモいので、心密かに「エモスウィッチ・エンゲイジ」と呼びならわしている。

しかしここで誤解のないようにしておきたい。メタル界隈の皆様にすれば何を今更といったところだろうが、このバンドのエモさは、いかにも繊細さとヤンチャさとを併せ持つような当世風の若い男の子が痩躯をよじらせながらスクリームする方式のエモさとは一線を画する。もっと無骨で、自然体で、毛むくじゃらな感じなのだ。

初期のアルバム2枚をとっかえひっかえ聴くうちに妙な感覚が生じてきた。ある楽曲に先日亡くなった小神様へのレクイエム的なイメージを抱くようになったのだ。感傷の度合いで言えば『マイ・ラスト・セレナーデ』だろうし、歌詞の内容なら『ローズ・オブ・シャリン』がぴったりだ。けれどもわたしの潜在意識は次の楽曲を指差して、どうにもレクイエム的だぞと言う。

Killswitch Engage - A Bid Farewell - YouTube

土砂降りの雨を想起させるトレモロリフがやがて大きなうねりに変わり、それまでのスクリームから一転、黒人ボーカリストが力強くしなやかに歌い出すとき、まったくどういうわけか、わたしはそこに仏教的無常観のようなものを聴く。さらにはCメロのマジ半端ねえ熱量、ダイナミズム、どこか高くて脆い場所へ向かって一心不乱に駆け上がっていくかのような疾走感、そうして訪れる一瞬の、いや、永遠の静寂ーー。

虚構と現実とが混ざり合う領域でわたしたちはいろいろな景色を見る。何しろエモい。すこぶるエモい。あんまりにもエモいので、心密かに「エモスウィッチ・エンゲイジ」と呼びならわしているほどだ。

小神様の逝去に寄せて

いまになって考えるとめちゃくちゃな話だが、最初はエイプリルフールの悪い冗談だと思った。寝起きで頭がぼんやりしていたわたしは、つい先日おせち料理を食べたことや、初詣に出掛けたことなどをすっかり忘れて、その見出しの意味するところを何がなんでも否認すべく、カレンダーを3ヶ月先へ進めようとしたのだ。

意識がはっきりしてくるにつれ、悲しみよりも怒りがこみ上げてきたーー何だそりゃ。ふざけんな。そんな馬鹿な話があってたまるか。糞食らえだ、ちくしょうめ。

何しろわたしにとって神バンドは(1)BABYMETALに対するろくでもない偏見や先入観を取っ払ってくれた恩人である。(2)バンドをやっていた青春時代に思い描いたヒーローの姿そのものである。(3)ファンの最前線で女の子たちを支え、応援し、勇気付ける、論理の飛躍を百も承知で言えば戦友であり、同志であり、かけがえのない仲間である。

そんな神バンドの一員があのような形でチームを離れることになるとは想像だにしなかった。そう簡単に受け入れられる現実ではなかったし、受け入れられないからこそ涙なんぞ一滴も出やしなかった。

けれどもBOHさん、大村さん、青山さん、Ledaさん、前田さん、宇佐美さん、それからBABYMETAL公式の追悼コメントを読んでいくうちに、少しずつ内心に変化が起こってきた。一介のファンにすぎないわたしなどよりもよっぽど苛酷で、よっぽど不条理で、よっぽど糞食らえな現実をどうにか受け入れ、涙を振り払って前に進もうとする彼らの姿勢に感化されたのだと思う。

昨日、大阪城ホールのファンカムを観ていたら不意に泣けてきた。小神様の奏でるギターは、その音のひとつひとつに「藤岡幹大」の4文字が刻印されており、ああ、これだ、これなんだよと思ったときには涙が頬を伝っていた。偉大なギタリストが、BABYMETALと、そうしてわたしたちファンとともに歩んだ日々は、決して色褪せることはない。彼の貢献はBABYMETALの物語の一部として、いつまでも語り継がれていくことだろう。

先生、心からご冥福をお祈りいたします。最大限の敬意と、感謝と、胸いっぱいの名残惜しさを込めて。

30000字のラブレター

打ち明けて言うが、わたしは二十歳やそこらの数年間、俗に言うところの「追っかけ」をやっていた。

相手は60代後半の老紳士だった。数々の言論人を世に送り出した知る人ぞ知る権威なのにも関わらず、軽妙洒脱にして気取らない話しぶり、ゆるキャラみたいな可愛らしい風貌、そうして年老いてなお革新的な学説を世に問う姿勢などなどが、わたしに加えてふたりの友人の心をつらまえ、追っかけ行為へと駆り立てたのだ。

老紳士の話はしばしば脇道へ逸れた。わたしたちは待ってましたとばかりに目配せを交わし、一言たりとも聞き逃さぬ覚悟で耳をそばだてたものだった。なかでも強く印象に残っているのが京都で過ごしたという学生時代の思い出話である。

何でも当時想いを寄せていた女学生に宛てて30000字のラブレターを書いたんだそうだ。さ、さ、さ、さんまんじ! なんという気持ちのこもった嫌がらせ! ハハッ! 師匠! 手作りセーターの比じゃないですな!

驚くのはまだ早い。勘の鋭い方ならすでにお気づきかもしれないが、老紳士の思い出話には、実はその女学生というのが後のカミさんなのだ、というロマンチックなオチがついてくる。つまり奥様は、400字詰原稿用紙75枚分にも及ぶラブレターをきちんと読み通し、涙するほど感動したんだか、時間を返せこの野郎と憤ったんだか知らないが、とにかく首を縦に振ったわけだ。

おお、なんという、変人にやさしい時代。

しかし考えてもみると、当ブログにしたってラブレター的な側面があると言えなくはないだろう。何しろここへ書き散らかしたあれこれは、結局のところ「好き」の2文字か、または「頑張れ」の3文字か、もしくは「ありがとう」の5文字かにつづめることができる。それでいて30000字どころの騒ぎではない、現時点でおそらく50000字を軽く超えているはずなのである。

なるほど。わたしたちは別の意味で、変人にやさしい時代を生きているらしい。せっかくなんだからそのやさしさに甘えることにして、来年も引き続きBABYMETALへのラブレター的な文章をしたためていくつもりだ。

それでは最後に。ウィーアー! ベビーメタール!

BABYMETALの本質

わたしたちがBABYMETALに観るものは、何も目に見えるものばかりではない。3人それぞれの人間性のようなものが相補的に作用しながら、歌と踊りとを通じて素晴らしく調和する有様を観るのである。

SU-METALはステージの申し子と呼ぶに相応しい肝っ魂の持ち主である。決して小器用なタイプではないが、しかし彼女は自分がもっとも輝ける場所を知っていて、そこへ心と身体のすべてを投げ打つことができる。その潔さ、誠実さ、思い切りのよさに人柄がにじみ出る。

YUIMETALは一言で言って意志の人である。はにかみ屋の表向きとは裏腹に、彼女の内面には1本のぶってえ筋金が入っている。彼女の踊りが呈する美しさ、緻密さ、切れ味の鋭さは、自分自身に対して一切の妥協をも許さない強い意志の表れと見てまず間違いないだろう。

MOAMETALは元気と笑顔と心配りとで周囲を巻き込む達人である。自らを潤滑油に喩えることが許される数少ない人間のひとりと言い換えてもいい。そうした徳性を核にして形作られてきた彼女のパフォーマンスは、オーディエンスひとりひとりを比喩的にハグするのだ。

こうした三者三様の人間性のようなものが奏でるハーモニーこそが、BABYMETALの本質なのではないか。

メタルを超えて、アイドルを超えて、目に見えるものすべてを超えて、世界中であの3人にしか生み出せないトライアド(三和音)のようなものこそが、わたしたちの心を揺すぶって止まないのではあるまいか。

同じことが例えばスリーピース・バンドの代名詞、グリーンデイにも言える。若い頃のわたしが夢中になっていたのは彼らの音楽のみならず、やんちゃ坊主のビリー、沈着冷静なマイク、茶目っ気あふれるトレの3人による絶妙な協調関係ではなかったか。

あの日の午後、YUIMETALが体調不良によりライブをお休みする旨のメールを読んだわたしは、マージーかーよーと細長くつぶやいて、その場にへたり込んだ。額面通りに受け取って回復を待とうという気持ちと、まさか最悪の事態に備えねばならないのかという気持ちとで、心が真っ二つに裂けてしまった。

あれから半月が経過した。冷静になって周辺情報をすり合わせてもみると、YUIMETALは大丈夫だろうと思う。したがってBABYMETALも大丈夫だろう。3人の人間性が奏でるトライアドは今後も鳴り続けるはずだ。