あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

BABYMETALの本質

わたしたちがBABYMETALに観るものは、何も目に見えるものばかりではない。3人それぞれの人間性のようなものが相補的に作用しながら、歌と踊りとを通じて素晴らしく調和する有様を観るのである。

SU-METALはステージの申し子と呼ぶに相応しい肝っ魂の持ち主である。決して小器用なタイプではないが、しかし彼女は自分がもっとも輝ける場所を知っていて、そこへ心と身体のすべてを投げ打つことができる。その潔さ、誠実さ、思い切りのよさに人柄がにじみ出る。

YUIMETALは一言で言って意志の人である。はにかみ屋の表向きとは裏腹に、彼女の内面には1本のぶってえ筋金が入っている。彼女の踊りが呈する美しさ、緻密さ、切れ味の鋭さは、自分自身に対して一切の妥協をも許さない強い意志の表れと見てまず間違いないだろう。

MOAMETALは元気と笑顔と心配りとで周囲を巻き込む達人である。自らを潤滑油に喩えることが許される数少ない人間のひとりと言い換えてもいい。そうした徳性を核にして形作られてきた彼女のパフォーマンスは、オーディエンスひとりひとりを比喩的にハグするのだ。

こうした三者三様の人間性のようなものが奏でるハーモニーこそが、BABYMETALの本質なのではないか。

メタルを超えて、アイドルを超えて、目に見えるものすべてを超えて、世界中であの3人にしか生み出せないトライアド(三和音)のようなものこそが、わたしたちの心を揺すぶって止まないのではあるまいか。

同じことが例えばスリーピース・バンドの代名詞、グリーンデイにも言える。若い頃のわたしが夢中になっていたのは彼らの音楽のみならず、やんちゃ坊主のビリー、沈着冷静なマイク、茶目っ気あふれるトレの3人による絶妙な協調関係ではなかったか。

あの日の午後、YUIMETALが体調不良によりライブをお休みする旨のメールを読んだわたしは、マージーかーよーと細長くつぶやいて、その場にへたり込んだ。額面通りに受け取って回復を待とうという気持ちと、まさか最悪の事態に備えねばならないのかという気持ちとで、心が真っ二つに裂けてしまった。

あれから半月が経過した。冷静になって周辺情報をすり合わせてもみると、YUIMETALは大丈夫だろうと思う。したがってBABYMETALも大丈夫だろう。3人の人間性が奏でるトライアドは今後も鳴り続けるはずだ。