あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

『LIVE AT TOKYO DOME』レビュー

「人間というのはここまでいけるのか」ーーこれが率直な感想である。であるが、まずもってRED NIGHTとBLACK NIGHTの双方について所感を述べておきたい。

【 RED NIGHT 】
あらためて映像で観ると途方もない舞台セットである。歌と踊りとに加えて、あれを上ったり下りたり、潜ったり出てきたり、挙げ句まあまあの速度でぐるぐる回転させられたりするのだから、女の子たちの心身両面の負担は想像するに余りある。セットリストが少ないだの何だのと不満を漏らしていた公演当時の自分を引っ叩いてやりたくなった。

毎秒が見どころと評するべき内容だが、わたし個人としては『シンコペーション』と『Tales of The Destinies』に浅からぬ感銘を受けた。それぞれのパフォーマンスにBABYMETALの未来を見るような気がしたからである。何しろ『シンコペーション』ではカワイイ成分に頼らない純然たるカッコイイの提示が、また『テイルズ〜』では、楽曲そのもののすばらしさと神バンドの演奏とを含め、総合芸術としてさらに一段高いレベルへの到達が見て取れる。

【 BLACK NIGHT 】
わたしが出席したのはこちらである。日々色褪せていく記憶を少しでも補修すべく気負って臨んだのだが、何のことはない、むしろ新発見の連続だった。そら当然である。3階席から個々の表情など読み取れるはずもない。挙げ句「わあ、ここでぐるぐる回ってたんだ」などと驚く始末である。この野郎しっかりしろと公演当日の自分を蹴り飛ばしたくなった。

『BABYMETAL DEATH』でスタートし、『メギツネ』と『ヘドバンギャー!!』を経てラストの『イジメ、ダメ、ゼッタイ』へとなだれ込む鉄板のセットリストが見どころと言っていい。加えて『おねだり大作戦』から『NO RAIN, NO RAINBOW』、そうして『ド・キ・ド・キ☆モーニング』へと続く中盤の構成は、心理学における振り子効果だか何だか知らないが、とかくオーディエンスの感情をまんまと翻弄し、爆発的な盛り上がりを生む要因となっている。

【 人間うんぬんの件 】
才能に恵まれ、仲間に恵まれ、また教師に恵まれた者たちが、自ら道を求め、その道に不断の努力という足跡を刻み続けた結果の一部始終が、この2枚組には収められている。人間というのはここまでいけるのか。こうも美しく、こうもひたむきで、こうも力強い輝きを放つ何者かになり得るのか。くっそ感動した。

評価:★★★★★(半端ない)

エキセントリックな感動をあなたに

かれこれ半年ほど前、「BABYMETALは何故泣けるのか」という文章を書いた。ズッキーニサイズの1本糞をひねり出すに等しい難業であったと記憶するところだが、いまになって読み返すと何だか少々物足りなく感じられる。

とっつきやすさやわかりやすさを優先するあまり、もう一歩踏み込んだ考察に至らなかったのが原因だろう。そこで今回は、わたしが映画鑑賞を通じて体験したエキセントリックな感動を取り上げ、それらをBABYMETALにこじつけることで、半年前の不足を補っていきたい。

『サイン』
この糞映画のどこに感動するのだと眉根を寄せる者がいるかもしれない。しかしわたしは、ホアキン・フェニックス演じる農家手伝いの男、すなわちホームランの最長飛距離とシーズン最多三振という2つの記録を持つ元マイナーリーガーが、思い出のバットを手に宇宙人に立ち向かうシーンで漏れなく落涙する。その瞬間、稲妻のように使命が下るからである。力いっぱいバットを振ることにかけては誰にも負けない男の生き様を、その晴れ舞台を、その渾身のスイングを目の当たりにするからである。

全編通して「馬鹿」と「グロ」と「バイオレンス」とが横溢する、まさに「最高にかっこいい糞」と形容すべきタランティーノ作品である。この映画でわたしの涙腺をこそぐるのは青葉屋での大立ち回りにほかならない。何しろユマ・サーマン演じる女殺し屋の動きという動きが著しく常軌を逸しており、いや、著しく常軌を逸しておるからこそ、その一挙手一投足に肉体の芸術を見出すからである。有り得べからざる身体操作の数々によって発露する、熱烈峻厳たる内面性をしかと感受するからである。

誰が呼んだか「マッチョ・ポルノ」、鬼才デヴィッド・フィンチャー監督の大傑作である。わたし個人としては「ヘヴィメタルの精神をそっくりそのまま映像化したような作品」と見る。ピクシーズの『ウェア・イズ・マイ・マインド』が感傷的なイントロを鳴らすなか、金融街の高層ビル群が爆破され、次から次へと倒壊していくラストシーンに涙が止まらない。その瞬間、既存の権威やら、枠組みやら、価値基準やらが覆されるからである。馬鹿らしくも鮮やかな夢が華々しい勝利を収めるからである。

ご理解いただけただろうか。すべてのエキセントリックな感動がそこはかとなく、あくまでうっすらと、最悪ファールチップくらいの感じでBABYMETALに通じてくる。我ながら絶妙なこじつけ芸だなと感心せざるを得ない。

アヴァターの話

BABYMETALが表立った動きを見せない今日この頃、わたしはスウェーデン出身のヘヴィメタル・バンド、アヴァターに夢中である。

アマゾンの野郎が相変わらず愚図々々しているので、不本意ながらひとつ飛ばして最新アルバムを手配した。するとヴァッケン・オープン・エア(2015)でのライブを収録したDVDがついてきた。これを有難く鑑賞する。

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ハロー! 俺たちがアヴァターだぜ!

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ワーイ!

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いや、ここだけの話だけどさ。

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子どもの頃からヴァッケンのステージに立つのが夢だったんだ! みんなありがとう!

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イエーイ! アヴァター! アヴァター!

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せーの! プッチャキツネアーップ!

最新アルバム『Feathers & Flesh』は個人的に言って★5つの仕上がり具合である。システム・オブ・ア・ダウンのデビュー作を手掛けたプロデューサーを招聘したとあって、まさに変幻自在、まさに縦横無尽、まさに参差錯落の混沌に持ち前の馬鹿々々しさとメタル魂とがほとばしる極めて濃厚な内容となっている。

試しに1曲お聴きいただきたい。

思わず「何じゃこりゃ!」と薄笑いを浮かべたあなたはファンへの第一歩を踏み出したと言っていい。一方で「こんなのSOADのパクりでしょうが!」とお怒りのあなたにはその真偽を確かめる義務が発生した。いずれにせよ、もっと評価されて然るべきバンドだとわたしは思う。

いわゆるロス疑惑

BABYMETALがステージ裏へ引っ込んで1ヶ月余りが経過し、日常はかつての落ち着きを取り戻しつつある。わたしは日々適量のメタル音楽を聴き、週に数本の映画を観て、毎晩自然とまぶたが閉じるまで本を読んでから、いびきと寝言と寝返りの世界に落ちていく。

先回報告したフランスのニューメタル・バンド、ワッチャのアルバムを2枚手に入れた。久しぶりに聴くガチのニューメタルは、何だかこう、猛然と詰め寄ってくる感じがうれしい。

同じく先回名前を挙げたスウェーデンデスメタル・バンド、アヴァターだが、こちらは自分でも少々戸惑うくらいファンになってしまったらしく、俗に言う「もっともっとほら!」の状態である。それだのにアマゾンの野郎、いっこうに送ってよこす気配がない。だから同じのばかり聴く。

アヴァターと言えば昨年、どこかのメタルフェスでBABYMETALのステージを見学していたようだ。

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ハハッ! 何だこの真顔!

さて先日、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙ーサイレンスー』を観た。脱水症を危ぶむほど涙が出た。この内心のざわめきをどうにかしてBABYMETALにこじつけてやろうと思ったものの、何度チャレンジしても同じ袋小路に迷い込んでストロング金剛の餌食になる風雲たけし城のパターンなので断念した。腹立ちまぎれに遠藤周作を読み直している。

かれこれ10年近く前、多摩霊園に隣接するカトリック墓地へ遠藤周作の墓を訪ねたことがある。梅雨明け間近の強い日差しを受けてきらきらと照りかがやく四角な石に、「洗礼名パブロ」の文字が彫りつけてあった。

わたしは特定の宗教を持たない。しかしだからと言って、目に見えない何かを強く信じたり、届くはずもない祈りを捧げたり、生涯近づくことさえかなわない誰かのことを熱心に考えたりする姿勢なり、気組みなりを、頭ごなしに否定するほど鈍感な人間ではない。むしろそうした独り相撲のあれこれが現在のわたしを形作ったと言って過言ではないだろう。

かつての落ち着きを取り戻しつつある日常は、ところが一方でごまかしようもない不足の感を浮き彫りにする。虚勢を張っていても仕方がないから白状してしまうが、よろしいか、わたしはBABYMETALの新曲が聴きたい。アニメが見たい。ライブに行きたい。

この野郎やりやがったな! それだけのためにこうも長々と!

見ーつけた!

日々の音楽漁りに一定の成果が見られたので以下に報告する。

某所で紹介してもらったフランスのニューメタル・バンド。聴いた瞬間「これだああ!」と小躍りした。ディスコとメタルの見事な融合と評すべき快作である。ファンク寄りのボーカルスタイルがこの界隈では珍しいばかりか、ほかの楽曲を聴いてみると、サウンド的にもありきたりなニューメタルとは一線を画するようだ。リズム隊にしろ、ギターワークにしろ、ちょっとしたひねりが効いていて面白い。しかしどうやったら音源が手に入るのか。

このパンテラ風のリフに心を奪われた。アルバムを取り寄せたところ、見た目こそデスメタル気味だが、グルーヴメタル、フォークメタル、インダストリアルメタル、ハードロック寄りの楽曲など手広くやるようであり、とりわけ民族音楽っぽいメロディやリフが新鮮に聞こえるのだった。箸休め的とまでは言わないが少々風変わりなものが聴けて楽しいし、若干スベっている感じも逆にかわいい。同時に注文したもう1枚はいまだに配送準備中である。

本来この手のキラキラしたメタルは好まない。先日も巷で人気のアヴェンジド・セブンフォールドを購入してみたのだが、案の定クサメタル成分が濃すぎて数回聴いたのみで投げてしまった。そんなわたしがこのバンドには不思議な魅力を感じている。何しろ若い。若いのに変態テク。変態テクなのにやらしい感じがしない。技量の差こそあれ、青春パンクを聴くような、懐かしい、清々しい気分が起こってくる。現在の音楽性とは多少とも異なるようだが。

未知のバンドに出会って「よし! のめり込むぞ!」という時期の高揚感ったらない。なかでも注目はプロテスト・ザ・ヒーローである。彼らの音楽をきっかけに新しい扉が開くかもしれないからだ。メタルコアか? プログレか? ジェントか? まさかのクサメタルか?

YouTubeに感謝だ。わたしの若い頃は新しい音楽に出会う方法は限られていた。いや、そこまで大昔の話でもないが、まあ確かに、アステルPHSを使っていた記憶はある。