あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

エキセントリックな感動をあなたに

かれこれ半年ほど前、「BABYMETALは何故泣けるのか」という文章を書いた。ズッキーニサイズの1本糞をひねり出すに等しい難業であったと記憶するところだが、いまになって読み返すと何だか少々物足りなく感じられる。

とっつきやすさやわかりやすさを優先するあまり、もう一歩踏み込んだ考察に至らなかったのが原因だろう。そこで今回は、わたしが映画鑑賞を通じて体験したエキセントリックな感動を取り上げ、それらをBABYMETALにこじつけることで、半年前の不足を補っていきたい。

『サイン』
この糞映画のどこに感動するのだと眉根を寄せる者がいるかもしれない。しかしわたしは、ホアキン・フェニックス演じる農家手伝いの男、すなわちホームランの最長飛距離とシーズン最多三振という2つの記録を持つ元マイナーリーガーが、思い出のバットを手に宇宙人に立ち向かうシーンで漏れなく落涙する。その瞬間、稲妻のように使命が下るからである。力いっぱいバットを振ることにかけては誰にも負けない男の生き様を、その晴れ舞台を、その渾身のスイングを目の当たりにするからである。

全編通して「馬鹿」と「グロ」と「バイオレンス」とが横溢する、まさに「最高にかっこいい糞」と形容すべきタランティーノ作品である。この映画でわたしの涙腺をこそぐるのは青葉屋での大立ち回りにほかならない。何しろユマ・サーマン演じる女殺し屋の動きという動きが著しく常軌を逸しており、いや、著しく常軌を逸しておるからこそ、その一挙手一投足に肉体の芸術を見出すからである。有り得べからざる身体操作の数々によって発露する、熱烈峻厳たる内面性をしかと感受するからである。

誰が呼んだか「マッチョ・ポルノ」、鬼才デヴィッド・フィンチャー監督の大傑作である。わたし個人としては「ヘヴィメタルの精神をそっくりそのまま映像化したような作品」と見る。ピクシーズの『ウェア・イズ・マイ・マインド』が感傷的なイントロを鳴らすなか、金融街の高層ビル群が爆破され、次から次へと倒壊していくラストシーンに涙が止まらない。その瞬間、既存の権威やら、枠組みやら、価値基準やらが覆されるからである。馬鹿らしくも鮮やかな夢が華々しい勝利を収めるからである。

ご理解いただけただろうか。すべてのエキセントリックな感動がそこはかとなく、あくまでうっすらと、最悪ファールチップくらいの感じでBABYMETALに通じてくる。我ながら絶妙なこじつけ芸だなと感心せざるを得ない。