あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

東京ドーム公演(速報)

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BABYMETALの東京ドーム公演(20日・ブラックナイト)に行ってきた。

結論から言って最高だった。

終始トランス状態で大騒ぎしていたから細かいことはほとんど憶えていないが、とにかくキンキラリーンだったと言うほかない。わたしは正式に女の子たちの奴隷になった。

開演前に周りの人たちが気さくに会話してくれたのも有難かった。おかげでリラックスしてライブに臨めた。新潟から来たおじさま、四国から遠征されたお兄さま、それからスキンヘッドのお兄さん、皆さん本当にありがとう。

詳細なライブレビューは後日。

いよいよ東京ドーム

BABYMETALの東京ドーム公演がいよいよ明日、明後日に迫った。

わたしは20日のブラックナイトのほうへ出席する段取りとなっているわけだが、お約束ながら「やだドキドキとまんなーい!」というのが現在の偽らざる心境になる。

何しろ初めての生BABYMETALである。

神バンドが最初の音を鳴らし、女の子たちがステージに現れた瞬間、わたしはわたしのよく知るわたしではなくなるだろうと思う。「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」としか表現しようのないプリミティヴな感情が爆発し、抑制が効かなくなる予感がするのだ。

そこにはもう地蔵・オブ・地蔵のわたしはいない。知覚という知覚をあられもなくおっぴろげ、その場に生じる何もかもを全身全霊で受け止めながら、歌い、踊り、泣き、笑い、そうして一心不乱にキツネサインを掲げる奴隷がまたひとり、この地球上に出現することだろう。

座席はいわゆる天空席である。近いか、遠いかは、関係ねーと、とりま強がっておく。

危なーい!

信じられますか? わたしはBABYMETALを聴くようになってしばらくのあいだ、女の子たちがやたらとかわいいことに気付かなかった。

歌や踊りに半ば暴力的な可愛らしさを感じていたのは確かだ。しかしそれはあくまで全体から受ける圧力のようなものであって、個々の目鼻立ちだの耳の大きさだのといった細部には不思議と注意が向かなかったのである。

これにはいくつかの理由が考えられる。

(1)女の子たちがあんまり若いので無意識にブレーキを踏んでいた。(2)アイドルの容姿を盛んにうんぬんするような人間に嫌悪感を抱いていた。(3)肝心なのは音楽であって見てくれは関係ないのだぜという変な意識の高さがあった。

おそらくは以上のような理由から、わたしの脳は女の子たちの容姿をすっぱり捨象した。つまり当時のわたしが見ていたのは「若くて可愛らしい女の子たち」という「記号」が歌って踊る姿だったわけだ。なんという節穴!

ぼんやり者の目をこじ開けたのは『Live in London』のDVDだった。

何度か鑑賞するうちに危険だなと気付いた。気付いたときにはもう手遅れだった。どこからともなく現れた獰猛な可愛らしいがわたしの首根っこをつらまえ、難なく組み伏せたうえ、ゴリラ並みの腕力にものを言わせて目の前の現実に向き合うよう迫ったのである。

「危なーい!」とわたしは叫んだ。「これはもう三者三様にかわいすぎて危険なやつでしょうが! こんなにめんこい女の子たちが歌に踊りに超絶プロフェッショナルなパフォーマンスをやるんだから、そら地球全体がざわざわするわけだぜ! つーか何だこの顔! 見たことねーわこんな表情! かーわー(以下略)」

わたしはアイドルが苦手だ。

BABYMETALに関して言えばメタルの方面からうっかり迷い込んだにすぎない。

そんなわたしのスマホはいまや女の子たちの画像で膨れ上がっている。ときおり眺めては「はあ、かわいいなあ」などと溜め息をつく始末である。なんという認知的不協和

結局のところ、わたしは殺風景な部屋の窓辺に花瓶を3つ並べたのだ。そうしてそれぞれに真っ赤なブーゲンビリア、透き通るような白いユリ、元気いっぱいのヒマワリを挿したのだ。たまには花を眺めて暮らしたって罰は当たるまい。

BABYMETALは遍在する

BABYMETAL漬けの日々に一抹の不安を感じた。

何しろわたしはチューインガムの味が永遠に続くものではないことを知っている。幸せの絶頂にいるときほど不幸せな未来を空想するのが人間の性でもある。

「消費の速度は適正か?」とこのように自問したわたしは、当面のあいだBABYMETALの摂取を控えてみるという過酷な実験を自らに課した。

通勤中はトリヴィアムの『将軍』を聴く。不思議なもので、BABYMETALを知る前に購入した『クルセイド』に比べると、インストにしろ、メロディにしろ、驚くほど心地よく耳に入ってくる。例のズッ友写真のおかげで心理的な距離がぐっと縮まったのかもしれない。

帰宅後はフィリップ・K・ディック『聖なる侵入』の続きを読む。久しぶりの読書らしい読書である。BABYMETALに出会ってからというもの、余暇に占める読書の割合は著しく低下していたのだ。

まったくの偶然になるが、作中にザ・フォックスという女性シンガーが登場する。彼女はその美しい歌声を世界中に届けることで、人々の心が悪に傾くのを阻止している。否定的な思考にとりつかれ、自分を蔑み、他者を憎み、そうして生きることさえ投げ出そうとする人々に救いの手を差し伸べるのである。

翌日もトリヴィアムを聴きながら仕事場へ向かう。ガチガチのクラシックスタイルながら、ときおり顔を出すキャッチーなメロディに思わずニヤリとさせられる。

その夜はレコーダーに残してあった『パシフィック・リム』を観る。頬ずりしたくなるほど好きな映画だが、なかでも世界を舞台に活躍する数少ない日本人女優、菊地凛子がすばらしい。全身全霊を賭してイェーガーを操縦し、暴れ回るカイジュウどもを次々やっつける勇敢な姿が、その大役を勝ち取るにいたった彼女自身の平坦ならざる道のりにオーバーラップして、わたしの涙腺をこじ開ける。少なくとも彼女は挑戦し、乗り越え、見事にやり遂げたのだ。

さて、実験はたったの2日間で幕引きとなった。どうにも我慢できなくなって某ロックフェスのフル動画を観てしまったのである。何のことはない、わたしはBABYMETAL2日分の涙を流した。

しかしこうして振り返ってもみると、トリヴィアムしかり、ディックの小説しかり、菊地凛子しかり、わたしが2日間のうちに偶然選び取ったものすべてが多少ともBABYMETALに関連している、あるいはそこに何かしらのBABYMETAL性が含まれていることに気付く。

もしかするとBABYMETALは、仏教のいわゆる仏性さながらあらゆるものに遍在するのかもしれない。事実、わたしはチョコレートやチューインガムは無論のこと、イカゲソ、スルメ、お稲荷さん、コルセット、ポニーテールおよびツインテール、4、山手線、猫、ナマハゲ、長渕剛、果てはACミラン白井健三にまでBABYMETAL的な何かを感じているではないか。

やはりこう言わざるを得ない。BABYMETALは遍在すると。

とんでもなく頼もしい

BABYMETALが現在もカラオケでライブをやっていたらと考えることがある。

ここまで夢中になれただろうか? ライブDVDやネット動画を繰り返し観ただろうか? まして東京ドーム公演のチケットを手に入れただろうか?

何しろ人間の半分はつまらない偏見、ろくでもない先入観、および糞みたいな固定観念で出来ている。それらを取っ払って物事を見ることの難しさは誰もがよく知るところである。もし最初に観たライブ動画が神バンドなしのカラオケだったら、わたしはそれを「学芸会」の3文字で片付けたかもしれない。そうして二度と女の子たちに関心を寄せなかったかもしれない。

ちょっと泣いてしまいそうになる。いくら何でもあんまりだ。そんな馬鹿なことが、いや、しかしながら、可能性としては起こり得たと言わねばならない。

こう見えて若い頃ギターをかじっていた。

いくつかのコピーバンドでオアシス、グリーンデイ、ジ・ミッシェル・ガン・エレファントなどをまあまあ上手に弾いていた。

誤解のないようにしておくが、これらをまあまあ上手に弾くために必要なのは、有り余る時間と、少しばかりの忍耐力と、モテたいという願望のみである。センスのある人間なら1年やそこらであっさり到達し、素通りするレベルと言っていい。

しかし、そこに思いっきり楽しむというマインドさえあれば、上手いか、下手かは、関係ねーらしい。事実、当時の音楽活動はわたしにとって人生最良の思い出のひとつになっている。よくもまあ恥ずかしげもなくギターケースなんかを背負って出歩いていたなとは思うが。

かつての相棒であるテレキャスターは現在、ものであふれた部屋の片隅でオブジェと化している。数年前に衝動買いした黒のレスポールも、ほとんど鳴らされぬままに同じ運命をたどった。

さて、神バンドとは何か。

第1にそれは仲介者である。わたしのような狭量で意地っ張りな音楽フリークと女の子たちとのあいだを取り持つ、考え得るかぎり最高の橋渡し役である。

第2にそれはかつて見た夢である。若い頃のわたしのようなギターキッズから、真剣に音楽と向き合い、音楽の道を志し、そうして道半ばで敗れ去った者にいたるまで、すべての楽器経験者、バンド経験者がかつて鮮やかに思い描いたヒーローの姿そのものである。

第3にそれは、わたしたちファンの最前線で女の子たちを支え、応援し、勇気づける、とんでもなく頼もしい白塗り野郎どもである。

ありがとう神バンド。最大限の敬意を込めて。