あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

『METAL GALAXY』まであと5日

BABYMETALの新譜まで1週間を切った今日この頃、またしてもPMCとかいう雑誌が郵便受けに突っ込まれてあったので、これを大変面白く読んだ。

なかでも仕事中に思い出し笑いをしてしまうほど印象に残ったのが、蝉のくだりである。裏返しになっていた蝉を元に戻し、なおかつ人に踏まれないところへ置いてやるMOAMETALに対して、SU-METALは「やめな! やめな!」と必死に止めたんだそうだ。

わたしはこの手のエピソードに目がない。こうした極めて個人的の好きなり、嫌いなり、傾向なり、習癖なりといった、すなわちクソしょうもない断片の寄せ集めこそがあなたであり、わたしであり、人間であるとこう考えるからである。MOAMETAL持ち前の気配りは死に損ないの蝉にまで及び、一方のSU-METALは昆虫のたぐいが苦手なのかもしれぬ。

さて、インタビュー記事には『METAL GALAXY』の内容をほのめかすやり取りが散りばめられていた。それらを総合するところ、というより、例のサンプル音源を聴いて薄々感づいてはいたが、ファン待望のサードアルバムは、過去2作以上にアヴァンギャルドでケイオティックな内容になると見てまず間違いなさそうである。

そこで思い出すのは3年前の春、アイドルに無縁の人生を送っていたわたしを突如襲った「何じゃこりゃ!」の数々だ。メタル好きのおっさんは、驚き、戸惑い、抵抗し、何度となく躊躇したすえ、BABYMETALという底知れぬ穴に身を投じる覚悟を決めたのだった。

あくまで予感の域を出ないが、わたしはサードアルバムを通じてあの頃の気持ちを再体験することになるのかもしれない。そうしてBABYMETAL受容のプロセスをもう一度最初からやり直すのではなかろうか。そんな予感を禁じ得ないほど、例のサンプル音源で聴いた楽曲たちには、ちょっと取り扱いに困るような、率直に言ってへんてこりんなのが多い。奇天烈なのがたくさんある。

不安がないと言えば嘘になる。けれども、わたしはきっとBABYMETALが繰り出す新たな「何じゃこりゃ!」の数々を好きになるんだと思う。世に言う惚れた弱みである。帰するところ惚れたもん負けなんである。

風邪の引きはじめに効くメタル

わたしはほとんど風邪を引かない。日々メタルを摂取するのみならず、おや風邪かなと思ったら、(1)常備してある葛根湯を飲み、(2)お気に入りのメタルを聴いたのち、(3)さっさと寝床に這入るからだろう。

世界にはメタルがそのうちガンに効くようになるなどと言い張るアヴァンギャルドの輩もいるが、しかし、わたしはメタルと葛根湯とを両の天秤にかけてしげしげと眺める程度には現実的な人間であるから、メタルは風邪の引きはじめに効くとこう主張するにとどめたい。

そこで今回は風邪の初期段階に効き目のありそうなメタルをいくつか紹介する。これらを聴いて免疫力だか自然治癒力だかを存分に高めていただければと思う。



数ヶ月前にアルバム『王様はデブで老いぼれである』を入手して聴くデストレイジ。ニューメタルのグルーヴ、メタルコアのエモみ、プログレのアブノーマル感、これらを3色丼さながらに盛り合わせた、なかなか独特な音世界を提示するイタリアのバンドだ。思わず頰が持ち上がるカッコイイ馬鹿々々しさが、風邪のウイルスなど一瞬で蹴散らしてしまうこと請け合いである。



プロテスト・ザ・ヒーローには平素より大変お世話になっている。心身ともにくたびれ果てた金曜日の帰宅時、名盤『ケザイア』を最初から聴いてって9曲目に及び、この「ウォーキーン、ワーン、ラースト、マーヨー」を口ずさむとき、わたしは十中八九涙ぐんでしまうのだった。何百回と摂取しても色褪せない力強さと美しさに、風邪のウイルスなどひとたまりもないはずだ。



変化球はいいから直球をよこせと不満顔のあなたにはマシーン・ヘッドを推す。音楽性にやや揺らぎのあるバンドだが、現代的であり、なおかつ正統的であるという、この両輪がばっちり噛み合ったアルバム『ザ・ブラッケニング』は圧巻の出来と言うほかない。攻撃性と叙情性とが素敵にタッグを組む彼らの楽曲を聴けば、風邪のウイルスなど一目散に逃げ出すことだろう。



ここへきて恐ろしいことに気づいてしまった。わたしがほとんど風邪を引かないのは、日本古来の俗諺が指摘するように、わたしが馬鹿だからではないのか。風邪の諸症状を自覚できないほど愚鈍の者だからではあるまいのか。おまけにわたしはメタル好きである。BABYMETALのファンである。風邪など引きっこないんである。

(10)君に会いにゆこう

さいたまスーパーアリーナ公演のチケットが当たった。2017年の同公演以来、約2年ぶりのライブとなる。うれしいとか、楽しみだとか、やだドキドキ止まんないとかいう以上に、疲労感と安堵感とがクロスオーバーしたような妙な心持ちがする今日この頃である。

何しろわたしがライブを欠席するあいだ、BABYMETALにいろいろの出来事が起きた。ここでそれらひとつひとつを振り返るつもりは毛頭ないが、それにしたって、いや、それにしたってと天を仰ぎ見ずにはいられない。この2年間、BABYMETALが歩んできた道は、文字通りの道なき道、けもの道であり、もっと言えばいばらの道であったろうと憶測するからだ。

BABYMETALの苦闘をよそに、わたしはわたしで随分批判がましいことも書いた。距離を置いた時期もあった。もう無理と諦めかける瞬間もあった。自分をねぎらうつもりなど寸毫ないが、ファンとして平坦ならざる道を歩んできたと自負するところだ。しかし、何にせよ、とにもかくにもである──わたしはもう一度、女の子たちと神バンドに会いにゆく道を選んだ。

それぞれが紆余曲折を経たすえに、道はまたひとつとなり、わたしたちは再会を果たす。冒頭で述べた疲労感と安堵感とのミクスチャー的な心持ちとやらは、あるいはこうした経緯に起因するものなのかもしれぬ。

*日本公演のゲストが発表されました。アヴァターの初来日に淡い期待を抱いていただけに残念です。それはさておき──

第1期のBABYMETALは素晴らしかった。それじゃあ第2期のBABYMETALはどうなんですかと、さらにパワーアップしてるんですかと、やっぱり最新が最高なんですかと、あの第1期を上回ってこそBABYMETALは伝説になるんじゃないんですかと、このあたりをしかと確かめるつもりだ。確かめるも何も大はしゃぎのうちにライブが終わってしまうんだろうことは想像に難くないが。

さて、めずらしく字数が余ったのでYouTubeのリンクでも貼っつけてやろうと思う。まったくの偶然と言うほかないが、何しろ現在のわたしの心境にぴったりの楽曲があるんである。

YouTube

21世紀の扇動者たち

メタルを聴くなかで何やらアジられているなと感じることがある。無論、政治がらみの話ではない。右でも左でもなければ何とか主義の話でもない。けれども、まるで革命家だか扇動者だかの演説に熱狂するかのような、そんな高揚感とカタルシスとをおぼえる瞬間が、包み隠さずに言えばあるのである。

何しろ一部のメタルは訴えかけてくる──強さへの憧憬を、自尊心の発揚を、権力の腐敗を、人々の堕落を、神の不在と宗教の欺瞞を、祝福されざる者たちの苦悩を、魂の救済を、そうして、音楽による団結を。

このようなメッセージが並外れたカリスマの歌声を通じて解き放たれるとき、その音楽は、革命家だか扇動者だかの演説にどことなく似る。わたしは彼らを壇上に見上げる聴衆のひとりとなり、ゴリゴリにアジテートされる快感と危うさとの狭間で薄笑いを浮かべながら、それでも心のどうしようもなく揺すぶられるままに、賛同の証しを、メロイックサインを高々と掲げるのだ。

(注)あくまで比喩です。アナロジーです。子供じみた連想遊びです。当ブログの何割かは悪ふざけでできています。

世が世なら、とわたしは妄想のアクセルを踏み込む。稀代の演説家として民衆を鼓舞し、結束させ、何かしらのムーブメントを牽引する者がいてちっとも不思議はないはずだ。要はそういった妄想が捗るほど、メタルのヴォーカリストには尋常でないカリスマ性と説得力とを具える者が存在するんですとこう訴えたいのである。

さて、そんな21世紀の扇動者たちの筆頭格、コリィ・テイラー率いるスリップノットの新作が、先日、全世界に解き放たれた。

聴けば聴くほど味が出てくる素晴らしい出来である。持ち前のアグレッションを維持しつつ、思い切ったなと感じさせる楽曲もあるにはあるが、過去作をしこたま聴き込んできた人間として、別段の不整合は感じない。むしろ全体として起伏に富んだ趣深いアルバムに仕上がっている。おまけにタイトルのアジりっぷりが最高ではないか──『We Are Not Your Kind(俺たちはお前らと同類じゃねえぞ、このクソったれ!)』

もっとわたしをアジってほしい。もっともっと心に浮力を与えてほしい。何とも有難い話だが、来週はキルスウィッチ・エンゲイジ、10月には我らがBABYMETAL待望の新作がそのベールを脱ぐ。メロイックサインを下ろす暇がないとはこのことだろう。

ディスコメタルと言えなくもない

新曲『PA PA YA!!』を聴くうちに、ふと懐かしい記憶がよみがえってきた。小学校低学年の頃、珍妙極まる音楽に合わせてクソややこしい踊りを踊らされた、そんな黄色っぽく色褪せた思い出がである。

それは『ジンギスカン』と呼ばれていた。何やら異国語で歌われる、どこか悪ふざけじみた、けれども馬鹿にリズミカルで、ことによると「ご機嫌な」と形容できなくもない音楽が流れると、児童たちはぴょんぴょん飛び跳ねたり、ぐるぐるまわったり、つま先とかかとを交互に触ったりして踊るのだった。

坊主頭の少年にとって何もかもが不可解であった。ミステリーと、ナンセンスと、ストレンジ感とをそれぞれ頂点とする三角形のうちに閉じ込められ、悪い夢でも見るようであった──いったい誰が何のためにこんなことをさせる? そもそもこの珍妙な音楽は何なのだ?

30年余りの時が過ぎ、BABYMETALの『PA PA YA!!』を繰り返し聴いていた中年男は、この楽曲が件の『ジンギスカン』に似ていると考えるようになる。いや、似ているどころかそっくりではないか、俗に言うオマージュなのではないか、などと半ば思い詰めるようになる。そうしてYouTubeへ問い合わすに至ったのである。

ジンギスカン(1979) 歌詞付き - YouTube

これには腹の皮がよじれた。一方で、この本気とも冗談とも鑑定しかねる、それでいて躍動感と生命力とが横溢する圧倒的なパフォーマンスに、畏怖の念すらおぼえた。ついでに言うと『PA PA YA!!』には似ていない。ディスコ調のベースラインが共通する程度だろう。

以前からわたしはBABYMETALにディスコとメタルの融合をおねだりしてきた。ここでよくよく考えてもみると、ダークサイド以降に発表された楽曲には、程度の差こそあれ、ディスコ要素を含むものが複数ある。

『Elevator Girl』のイントロはアース・ウインド・アンド・ファイアを彷彿させるし、『PA PA YA!!』はどことなく『ジンギスカン』めいたシュールさを浴びせかけてくるのだし、『Shanti(仮)』にしたってサンタ・エスメラルダの『悲しき願い』が提示する乙なヴァイブスと、見えない糸で繋がっているような、繋がっていないような印象を与えるではないか。

サンタ・エスメラルダ - 悲しき願い Santa Esmeralda - Don't Let Me Be Misunderstood - YouTube

はあ? ディスコメタル? 仮にそうだとしても「いかにも」な楽曲は作らないぜ? BABYMETALはファンの期待の斜め上を行くグループだからね──某プロデューサーのしたり顔が目に浮かぶようである。