あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

いまなんじぇーい!

BABYMETALを観たり聴いたりしていると、大はしゃぎする意識に一瞬の空白が生じることがある。そうして以下のように自問するのだ。

「俺はいったい何をやっているんだ?」

何しろ向こう側とこちら側とのギャップが尋常ではない。かたや想像の世界から抜け出してきたような可愛らしい女の子たち、かたや現実世界という糞溜めにどっぷり浸って生きる冴えないおっさん、このグロテスクなまでのコントラストが脳裏をかすめるとき、一瞬の空白と自問とが生じるのである。

例えばカーステレオから流れるBABYMETALに合いの手を入れた直後、部屋で映像作品を観ながらキツネサインを掲げる瞬間、当ブログを更新すべく文章を書く最中、それはぶらりとやってきて、わたしの肩を叩く。

「おい。何をやってんだお前は。アイドル嫌いのメタル好きがどうしてこうなった。すっかり骨抜きにされちまったな」

このような現象を「魔法の解ける前触れ」と見る者がいるかもしれない。「その一瞬が少しずつ引き延ばされていき、ついには夢から醒める瞬間が訪れるのだ」などと訳知り顏に分析する者がいるかもしれない。

しかしそれは間違いだ。

わたしはむしろこの自問こそがBABYMETALを心底楽しむための重要なファクターになると考える。

これをいつも胸ポケットに忍ばせておく。言い換えれば、BABYMETALに出会う前の、分別臭くて、マッチョ気取りで、いまひとつ馬鹿になりきれなかった自分を頭の片隅に置いておく。そんな過去の自分と比べて現在の自分がいかに自由か。いかに上機嫌な馬鹿か。いかに音楽的視野を広げたか。そうした変化のひとつひとつに自覚的であってこそ、BABYMETALを体験する喜びが何倍にも増すように思えるのだ。

例えば『ド・キ・ド・キ☆モーニング』という卓越した楽曲がある。

わたしはこれを体験するとき、アイドルが放つハッピーなヴァイブスを、ヘヴィメタルが生み出す破壊と創造のエネルギーを、音楽そのものが内包する魔法の力を痛感せずにはいられない。「俺はいったい何をやっているんだ?」の自問をしかと受け止めつつ、心の底から「いまなんじぇーい!」と叫ばずにはいられない。

そうやって過去を置き去りにするのだ。糞みたいなあれこれでガチガチに凝り固まっていた過去の自分をあざ笑い、あるいは懐かしく思い出しながら、さらなる高みを目指すのである。

ほら、もうあんなに。わずか8ヶ月前の自分が米粒のようだ。

『LIVE AT WEMBLEY』レビュー

当初は購入を見送るつもりだった。東京ドームの2枚組まで待とうと考えていた。何でもかんでも出たら買うなんて姿勢は主義に反するからだ。

ところが1週間ほど前である。はたと我に返ったわたしは、自分が何やら嫌に黒光りする薄っぺらな小箱をテレビへ接続しているのに気付いた。正面中央のロゴから察するところブルーレイが再生できるやつらしい。「何じゃこりゃ危なーい!」と内心叫んではみたが、もちろん手遅れだった。

そうして24日の午後8時半過ぎ、「まさか」と「やはり」との狭間で揺れ動くわたしのもとへ、例の薄ぺらい段ボール箱が届いてしまう。ありったけの勇気を呈して開梱すると、果たして中身はBABYMETAL『LIVE AT WEMBLEY』のBDなのだった。「ほーらーブルーレイ来たー」とわたしはつぶやいた。

以後かれこれ10回近く鑑賞している。そのたびに時間泥棒があらわれ、わたしの貴重な時間をまんまと盗んでいく。

2ndアルバムの楽曲がどれも半端ない。パフォーマンスの質が高すぎて笑い泣きするほどだ。『ヤバッ!』と『GJ!』は何度観ても飽きない可愛らしさを、『META! メタ太郎』はスタジオ音源に比すべくもない圧倒的なダイナミズムを提示する。会場がピースフルな一体感に包まれる『THE ONE』からの『Road of Resistance』がライブのハイライトなのは間違いないにしろ、わたしとしては『Amore -蒼星-』をベストトラックに推したい。

何しろSU-METALの歌声と神バンドの演奏とが極めて高い次元で融合している。双方が心と身体のすべてを余すところなく差し出し、ひとつの卓越したパフォーマンスを作り上げている。おそらくは楽曲そのものの求めるレベルが一際高いからこそ、彼らの音楽に対する献身性がより強く感じられるのではないか。

あんまり長くても仕方ないので、以下にその他いろいろを書き散らかす。

・もちろん1stアルバムの楽曲も半端ない。
・音の仕上がりが「ヒャッハー! これぞメタルのライブだぜ!」といった具合で最高だ。
・神バンドが上手すぎて涙が出る。
・女の子たちがかわいすぎて魂を抜かれる。
・やたらと脚に目が行くなと思ったら、どうやらスカートの丈が少々短い衣装らしい。
・YUIMETALの挨拶の最初のところが聞き取れない。
・個人的に言って『LIVE IN LONDON』を軽々と超えてきた。なんという傑作!

評価 ★★★★★

やあ、久しぶり

かれこれ10年近く邦楽を聴かなかった。

わたしにとっては洋楽のほうが断然面白いからである。耳触り、馬鹿馬鹿しさ、アブノーマル感、何じゃこりゃ感、控えめに言ってすべてが雲泥の差だからである。

それに加えて、いつしかわたしは日本語の歌詞を邪魔臭く感じるようになっていた。意味するところがダイレクトに理解できてしまうからこそ耳障りなのだ。鬱陶しいのだ。余計なお世話なのだ。ちょっとした病気と考えていただきたい。

そんなわけでもっぱら洋楽を聴いていた。

意味の呪縛から解き放たれる気分というのは名状し難くも実に愉快なものである。試しに全裸でトランポリンに乗ってぴょんぴょん飛び跳ねる自分を想像してみてほしい。何なら実際にやってみてもいい。おおむねそんな気分である。

したがってわたしはメタリカを聴くが楽曲の内容については何も知らない。「バッテリー」なら蓄電池の歌だろう、「フューエル」なら燃料の歌だろうくらいの認識である。SOADのサージが何やらワーワー騒ぐので調べてみたところ、「そのサナダムシをケツの穴から引っこ抜け!」とかいう思いのほかヘルシーな内容だったりもした。スリップノットにいたっては歌詞カードを開いたことすらない。

さて、そんなわたしがBABYMETALに出会ったとき、いったい何が起きたのか。

第1に日本語の歌詞がやたらと新鮮に感じられた。第2にその可愛らしくて、支離滅裂で、超絶カラフルな歌詞世界に、少々お下品な言い方をすれば脳味噌をレイプされるような錯覚を起こしたものの、抵抗は長続きしなかった。そうして第3に、やがて小っ恥ずかしさと何じゃこりゃ感との隙間から、意味がダイレクトに理解できる喜びがのろくさと這い出してきた。

「やあ、久しぶり」わたしは苦笑まじりに声をかけた。「日本人でよかったよ。いや違うな、BABYMETALみたいなグループが日本から出てくれてよかった、そう言うべきなのかもしれないね。何しろーー」

何しろ歌詞が日本語である。日本語だからこそ細かなニュアンスや含み、暗示、ほのめかし、パロディー、オマージュ、文化的背景にいたるまで、すんなり理解することができる。『メギツネ』の「なめたらいかんぜよ」にくすりと笑い、『META! メタ太郎』のヒロイズムに酔いしれ、『NO RAIN, NO RAINBOW』の切々たる祈りに心を寄り添わすことができる。なんという有難い話だろう。

耳障り? 鬱陶しい? 余計なお世話? いえいえ、滅相もございません。毎日が楽しくって仕方ないんです。

ブリッジ☆ミュート

歪(ひず)んだギターの音がたまらなく好きだ。とりわけブリッジミュートのバイオレンスな鳴りにぞっこん首ったけである。

かつては避けて通っていたメタルの界隈に移り住んだのも、より変態的なブリッジミュートを欲しがった結果と見てまず間違いない。言い換えれば、それまで服用していたお薬が徐々に効かなくなってきたというわけだ。

何の話だこのブタ野郎とお怒りの方のために説明しておくと、ブリッジミュートとはエレキギターの演奏技術のひとつである。普通にジャーンと弾くのとは異なり、手のひらの側面で弦の端っこ(ブリッジ)を圧迫(ミュート)しながら弾く。そうすることで生肉の塊をどしどし叩っ斬るような、ヘヴィで、ブルータルで、なおかつタイトな音が出るという寸法なのだ。

BABYMETALの楽曲で言えば『メギツネ』の冒頭「デデデデッデッデデン」がブリッジミュートである。いったんそうとわかってしまえば何しろメタル音楽の基本なのだから、すべての楽曲でザクザクドバドバと変幻自在に鳴っているのが聴き取れるだろう。

わたしはそんなブリッジミュートの鳴りを偏執的に好む者である。

これをいかに変態的に並べてくるか、差し込んでくるか、混ぜ合わせてくるかが勝負の分かれ目になる。もともとメロスピみたいにすらすら流れていくようなやつよりも、長短いろいろの休符を散りばめて躍動的なニュアンスをつけた、すなわちグルーヴ感のあるやつのほうが断然好みである。


これは卓越している。見た目がゆるキャラっぽいから子どもや女子中高生に人気が出そうだ。惜しむべきはこの人たちがキャリアを重ねるにつれ退屈なニューメタルバンドになり下がってしまった点である。何故この知的で可愛らしい路線を続けなかったのか。


これは抜きん出ている。映像がご丁寧にも明示する通り、メタル音楽がダンスフロアに押し入ってくる旨のさわやかな楽曲である。「何じゃこりゃ!」と「かっこいい!」とを同時に味わえるSOADがわたしは大好きだ。どことなくBABYMETALに通じるものがあると思う。


これは際立っている。コーラス前のザックザクしたブリッジミュートが猛然と上げてくる。メタル音楽とラウドロックの境界線をあえてぼやかした上でキャッチーな歌モノまで放り込んでくるスリップノットもまた、BABYMETALとの類似性を感じさせるバンドである。

初めてYouTubeのリンクを貼ってみたのでドキドキが止まらない。いずれにしろわたしはもっと欲しい。もっともっとほら変態的で躍動感のあるブリッジミュートをふんだんに混ぜ込み散らかしたメタル音楽が聴きたい。

日々探しているのだがなかなか見つからない。何しろストライクゾーンが狭く出来ている。

BABYMETALは何故泣けるのか

2014年7月5日の午後8時過ぎ、わたしはどこで何をしていたのだろう。おおかたJリーグ中継でも見ながら食後のデザートを頬張っていたに違いない。
 
ちょうどその頃、BABYMETALはソニスフィア・フェスティバルのメインステージに立っていた。神バンドが繰り出す『BABYMETAL DEATH』のイントロに背中を押され、舞台中央へ向かってゆっくりゆっくり歩を進める女の子たちの小さな胸は、かつてない緊張と、不安と、重圧とで、いまにも張り裂けそうだったに違いない。
 
わたしたちのパフォーマンスは通用するだろうか? 本場のメタルファンに受け入れてもらえるのだろうか?
 
結果はご存じの通りである。女の子たちは見事にやり遂げた。6万人からの荒ぶるメタラーどもを力ずくでねじ伏せ、世界征服の夢がブラフでも絵空事でもないことを証明してみせたのだった。
 
このライブの一部始終をとらえたファンカムは、単に若くて可愛らしい女の子たちが歌って踊るエンタメ映像などではない。人間存在の根幹に関わるいくつもの重要な肝っ魂、すなわちマインド、ないしはスピリチュアリティがまばゆいばかりに発露し、音楽を介して拡散し、オーディエンスひとりひとりの心にじわじわと浸透してゆく奇跡的なプロセスをつぶさに撮影した、人類史上極めて意義深いドキュメンタリー映像にほかならない。
 
当時10代半ばの女の子たちが見せた驚くべき勇敢さ、ひたむきさ、自分を信じる強さ、夢の実現のためにすべてを投げ打つ敬虔さ。
 
BABYMETALは何故泣けるのか。
 
あるいは親心のようなものが一枚噛んでいるのかもしれない。まだあどけなさの残る女の子たちが懸命に戦っている姿、夢を叶えていく姿、世界中のファンに愛されている姿を目にすることで、言うなれば父兄的な、架空の保護者的な立場から感動をおぼえるのではないか。
 
加えて無常観のようなものが見え隠れするのだから手に負えない。もう二度と戻らない一瞬一瞬を全力で駆け抜けていく女の子たち、その美しさ、清々しさ、これらと表裏一体をなすところの儚さが手前のノスタルジーに混ざり合うとき、涙はとめどもなく溢れるのである。
 
そうして涙の理由はSU-METALの歌声にとどめをさす。何しろ混じりっ気がない。作為が感じられない。変なあざとさも媚びを売るようなところもない。わたしたちの鼓膜を揺すぶるのは、彼女の真っ直ぐで、誠実で、ある意味では不器用な想いそのものなのかもしれない。
 
泣けてくる理由はほかにもある。
 
楽曲それ自体のすばらしさは無論のこと、ライブにおける神バンドの鬼気迫る演奏、ほとばしる職人魂、後方から女の子たちを支え、応援し、勇気づける、その男っぷりのよさにも胸を打たれる。また、成長物語としての側面も無視することはできない。幼くしてアイドルを夢見た女の子たちの努力と、葛藤と、試行錯誤の日々。降って湧いたようなメタル音楽への貢献、逆から言えばメタル音楽という十字架──。
 
さて諸君、ハンカチの準備は出来ているか? 女の子たちのひた走る道なき道は遥か地平線の彼方へと続いている。涙はしばらく乾きそうにない。
 
(2018年5月26日改稿)