あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

21世紀の扇動者たち

メタルを聴くなかで何やらアジられているなと感じることがある。無論、政治がらみの話ではない。右でも左でもなければ何とか主義の話でもない。けれども、まるで革命家だか扇動者だかの演説に熱狂するかのような、そんな高揚感とカタルシスとをおぼえる瞬間が、包み隠さずに言えばあるのである。

何しろ一部のメタルは訴えかけてくる──強さへの憧憬を、自尊心の発揚を、権力の腐敗を、人々の堕落を、神の不在と宗教の欺瞞を、祝福されざる者たちの苦悩を、魂の救済を、そうして、音楽による団結を。

このようなメッセージが並外れたカリスマの歌声を通じて解き放たれるとき、その音楽は、革命家だか扇動者だかの演説にどことなく似る。わたしは彼らを壇上に見上げる聴衆のひとりとなり、ゴリゴリにアジテートされる快感と危うさとの狭間で薄笑いを浮かべながら、それでも心のどうしようもなく揺すぶられるままに、賛同の証しを、メロイックサインを高々と掲げるのだ。

(注)あくまで比喩です。アナロジーです。子供じみた連想遊びです。当ブログの何割かは悪ふざけでできています。

世が世なら、とわたしは妄想のアクセルを踏み込む。稀代の演説家として民衆を鼓舞し、結束させ、何かしらのムーブメントを牽引する者がいてちっとも不思議はないはずだ。要はそういった妄想が捗るほど、メタルのヴォーカリストには尋常でないカリスマ性と説得力とを具える者が存在するんですとこう訴えたいのである。

さて、そんな21世紀の扇動者たちの筆頭格、コリィ・テイラー率いるスリップノットの新作が、先日、全世界に解き放たれた。

聴けば聴くほど味が出てくる素晴らしい出来である。持ち前のアグレッションを維持しつつ、思い切ったなと感じさせる楽曲もあるにはあるが、過去作をしこたま聴き込んできた人間として、別段の不整合は感じない。むしろ全体として起伏に富んだ趣深いアルバムに仕上がっている。おまけにタイトルのアジりっぷりが最高ではないか──『We Are Not Your Kind(俺たちはお前らと同類じゃねえぞ、このクソったれ!)』

もっとわたしをアジってほしい。もっともっと心に浮力を与えてほしい。何とも有難い話だが、来週はキルスウィッチ・エンゲイジ、10月には我らがBABYMETAL待望の新作がそのベールを脱ぐ。メロイックサインを下ろす暇がないとはこのことだろう。