あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

新曲『TATTOO』の不思議

システム・オブ・ア・ダウンの音楽を語るとき、「変態」の2文字を避けて通ることはできない。サージの変態的歌唱とダロンの変態的作曲センスの邂逅、すなわち変態ミーツ変態といった音世界こそが、彼らの最たる魅力と言って差し支えないはずだ。

しかしながら、彼らがニューメタル界隈において抜きん出た人気と、評価と、尊敬とを得たのには、もうひとつ別の理由がある。楽曲のあちこちに顔を出す匂い立つような異国情緒、民族音楽のエッセンス、よくわからないが何やらアルメニアっぽい感じ──これらとメタルとの融合が世界中の音楽ファンを魅了したのである。

「特に意識したことはないね」と彼らは言うかもしれない。「何しろこの身体にはアルメニア人の血が流れているんだ。もし俺たちの音楽にほかと違う何かがあるとすれば、それはきっと遺伝子のしわざだろうな」と。

以上を踏まえてSU-METALの新ソロ曲『TATTOO』に話を転じたい。我らがクイーンの新境地が堪能できるとあって個人的には首ったけだが、しかし聴く人によっては過去にどこかで耳にしたような、割とよくある感じのハードロックといった印象を抱くかもしれない、全体としてはそんな仕上がりになっている。

それでいて驚くべきは外国人ファンの大絶賛である。おや不思議だなと思っていろいろ考えてみた結果、わたしは以下のような推論を立てるに至った。

彼ら外国人は、この楽曲に何やら東洋的な、もっと言えば日本的なサムシングを感じているのではないか。わたしたち日本人にしてみれば、自らの体臭さながら慣れっこになっていて気付くことのできない、日本式の節回しなり、空気感なり、もののあわれなりが、この米国式ハードロックを下敷きにした楽曲にしっかりと織り込まれているのではないか。喩えて言えばBBQの骨付き肉にテリヤキソースをぶっかけたかのように──おお、なるほど、彼らの大好物じゃないすか!

システム・オブ・ア・ダウンを例にとったのはほかでもない。世界で戦うには自らのルーツこそが大きな武器になるという事実に改めて思い至ったからだ。もっとも、たまには瓢箪から駒が出ることもあるだろうが。


【続・YUIMETALの不在について】
人間は信じたいものを信じる生き物である。したがってわたしがYUIMETALの復帰を信じて疑わないのも無理からぬ話だろう。しかしこれを希望的観測の一言で片付けてほしくはない。すでにいくつかのヒントが提示されているように感じられるのだ。