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あんたのどれいのままでいい

とあるBABYMETAL中毒者の手記

やあ、久しぶり

小論文
かれこれ10年近く邦楽を聴かなかった。

わたしにとっては洋楽のほうが断然面白いからである。耳触り、馬鹿馬鹿しさ、アブノーマル感、何じゃこりゃ感、控えめに言ってすべてが雲泥の差だからである。

それに加えて、いつしかわたしは日本語の歌詞を邪魔臭く感じるようになっていた。意味するところがダイレクトに理解できてしまうからこそ耳障りなのだ。鬱陶しいのだ。余計なお世話なのだ。ちょっとした病気と考えていただきたい。

そんなわけでもっぱら洋楽を聴いていた。

意味の呪縛から解き放たれる気分というのは名状し難くも実に愉快なものである。試しに全裸でトランポリンに乗ってぴょんぴょん飛び跳ねる自分を想像してみてほしい。何なら実際にやってみてもいい。おおむねそんな気分である。

したがってわたしはメタリカを聴くが楽曲の内容については何も知らない。「バッテリー」なら蓄電池の歌だろう、「フューエル」なら燃料の歌だろうくらいの認識である。SOADのサージが何やらワーワー騒ぐので調べてみたところ、「そのサナダムシをケツの穴から引っこ抜け!」とかいう思いのほかヘルシーな内容だったりもした。スリップノットにいたっては歌詞カードを開いたことすらない。

さて、そんなわたしがBABYMETALに出会ったとき、いったい何が起きたのか。

第1に日本語の歌詞がやたらと新鮮に感じられた。第2にその可愛らしくて、支離滅裂で、超絶カラフルな歌詞世界に、少々お下品な言い方をすれば脳味噌をレイプされるような錯覚を起こしたものの、抵抗は長続きしなかった。そうして第3に、やがて小っ恥ずかしさと何じゃこりゃ感との隙間から、意味がダイレクトに理解できる喜びがのろくさと這い出してきた。

「やあ、久しぶり」わたしは苦笑まじりに声をかけた。「日本人でよかったよ。いや違うな、BABYMETALみたいなグループが日本から出てくれてよかった、そう言うべきなのかもしれないね。何しろーー」

何しろ歌詞が日本語である。日本語だからこそ細かなニュアンスや含み、暗示、ほのめかし、パロディー、オマージュ、文化的背景にいたるまで、すんなり理解することができる。『メギツネ』の「なめたらいかんぜよ」にくすりと笑い、『META! メタ太郎』のヒロイズムに酔いしれ、『NO RAIN, NO RAINBOW』の切々たる祈りに心を寄り添わすことができる。なんという有難い話だろう。

耳障り? 鬱陶しい? 余計なお世話? いえいえ、滅相もございません。毎日が楽しくって仕方ないんです。