あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

BABYMETALは何故泣けるのか

2014年7月5日の午後8時過ぎ、わたしはどこで何をしていたのだろう。おおかたJリーグ中継でも見ながら食後のデザートを頬張っていたに違いない。
 
ちょうどその頃、BABYMETALはソニスフィア・フェスティバルのメインステージに立っていた。神バンドが繰り出す『BABYMETAL DEATH』のイントロに背中を押され、舞台中央へ向かってゆっくりゆっくり歩を進める女の子たちの小さな胸は、かつてない緊張と、不安と、重圧とで、いまにも張り裂けそうだったに違いない。
 
わたしたちのパフォーマンスは通用するだろうか? 本場のメタルファンに受け入れてもらえるのだろうか?
 
結果はご存じの通りである。女の子たちは見事にやり遂げた。6万人からの荒ぶるメタラーどもを力ずくでねじ伏せ、世界征服の夢がブラフでも絵空事でもないことを証明してみせたのだった。
 
このライブの一部始終をとらえたファンカムは、単に若くて可愛らしい女の子たちが歌って踊るエンタメ映像などではない。人間存在の根幹に関わるいくつもの重要な肝っ魂、すなわちマインド、ないしはスピリチュアリティがまばゆいばかりに発露し、音楽を介して拡散し、オーディエンスひとりひとりの心にじわじわと浸透してゆく奇跡的なプロセスをつぶさに撮影した、人類史上極めて意義深いドキュメンタリー映像にほかならない。
 
当時10代半ばの女の子たちが見せた驚くべき勇敢さ、ひたむきさ、自分を信じる強さ、夢の実現のためにすべてを投げ打つ敬虔さ。
 
BABYMETALは何故泣けるのか。
 
あるいは親心のようなものが一枚噛んでいるのかもしれない。まだあどけなさの残る女の子たちが懸命に戦っている姿、夢を叶えていく姿、世界中のファンに愛されている姿を目にすることで、言うなれば父兄的な、架空の保護者的な立場から感動をおぼえるのではないか。
 
加えて無常観のようなものが見え隠れするのだから手に負えない。もう二度と戻らない一瞬一瞬を全力で駆け抜けていく女の子たち、その美しさ、清々しさ、これらと表裏一体をなすところの儚さが手前のノスタルジーに混ざり合うとき、涙はとめどもなく溢れるのである。
 
そうして涙の理由はSU-METALの歌声にとどめをさす。何しろ混じりっ気がない。作為が感じられない。変なあざとさも媚びを売るようなところもない。わたしたちの鼓膜を揺すぶるのは、彼女の真っ直ぐで、誠実で、ある意味では不器用な想いそのものなのかもしれない。
 
泣けてくる理由はほかにもある。
 
楽曲それ自体のすばらしさは無論のこと、ライブにおける神バンドの鬼気迫る演奏、ほとばしる職人魂、後方から女の子たちを支え、応援し、勇気づける、その男っぷりのよさにも胸を打たれる。また、成長物語としての側面も無視することはできない。幼くしてアイドルを夢見た女の子たちの努力と、葛藤と、試行錯誤の日々。降って湧いたようなメタル音楽への貢献、逆から言えばメタル音楽という十字架──。
 
さて諸君、ハンカチの準備は出来ているか? 女の子たちのひた走る道なき道は遥か地平線の彼方へと続いている。涙はしばらく乾きそうにない。
 
(2018年5月26日改稿)