あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

ほとんど魔法

わたしの見立てによれば、メタル音楽はマッチョイズム(男っぽさの誇示)とナルシシズム(自己陶酔)の混合物である。

その混ぜ合わせはバンドや楽曲によっていろいろだが、例えば「あのバンドは7:3の割合でナルシシズムが強いね」とか、「やつらは8:2でマッチョイズムを前面に押し出しているぜ」などといった言い方が、少々乱暴ではあるができるように思う。

個人的に言ってナルシシズムの強いメタル音楽が苦手だ。例のハイトーンヴォイス、自慰主義的なギターソロ、嫌に扇情的で仰々しいコード進行など、何もかもが生理的に無理なのだ。架空の嘔吐感をもよおすほどである。

ではBABYMETALの音楽はどうだろうか。

話をわかりやすくするために、SU-METALのソロ曲『紅月-アカツキ-』を例に考えてみたい。

まずはこの楽曲を男子が自己陶酔感たっぷりに、腰をクネらしながら歌うさまを想像する。ガクトでも、ハイドでも、エグザイルでも、とにかくナルシストっぽい男なら誰でもよい。

勘弁してください!もう許してください!お昼に食べた架空のナポリタンを比喩的に嘔吐してしまいそうです!

当然こうなる。

楽曲そのものがすでに相当量のナルシシズムを含有しているからだ。

ことにザラつくギターのアルペジオではじまるイントロ、そうしてツインギターが織りなす間奏部分は、俗に言うクサメタルの真骨頂と形容すべき代物である。そこへさらに男のナルシスティックな歌声が加わろうものなら、わたし個人の感覚としてはほとんど拷問だ。犯してもいない罪をうっかり自白しかねない。

では逆にSU-METALが歌うことで何が起きたのか。

彼女の真っ直ぐで、ひたむきで、外連味のない歌声によって、本来ナルシシズムの強い楽曲それ自体が何かしら別のものへと変質したのではないか、というのがわたしの見立てである。

そうでなければ筋が通らない。わたしのようなナルシシズム・アレルギーの人間がこうも心を揺すぶられるはずがない。

BABYMETALの音楽ではこのような化学反応がいたる場所で起きている。メタル音楽特有のナルシシズムは消臭され、中和され、分解されると同時に、より普遍的な意味での美しさや純粋さ、さらには気高さや勇敢さといったようなものへと変化を遂げている。

そのひとつひとつの瞬間に、年齢、性別、国籍を問わず多くの音楽ファンが長年待ち焦がれていた、いまだかつて誰も体験したことのない、まったく新しい物語が紡ぎ出されているのである。

これはもう、あれだ、ほとんど魔法。