あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

(4)崩壊寸前

BABYMETALの2ndアルバムを聴いたわたしは胸焼けを起こした。

『Road of Resistance』のライブ動画にすっかり魅了され、半ば衝動的にアルバムを買ってはみたものの、全体を通して聴いた印象は「甘ったるい」の一言に集約された。

何しろkawaii要素が強すぎる。

喩えて言えば、黒や紺、灰色など地味な色の服ばかり着ていた人間が、ある日突然ピンク色の上下を着せられたようなものである。鏡の前に立った彼あるいは彼女はこう感じるだろう。違う、違う、違う。これは自分じゃない。

率直に言って残念だった。

素晴らしいメタル音楽を土台に据えているとはいえ、やはり彼女らはアイドルなのだ。

アイドル的な手法にまるで馴染みのない、免疫のないわたしには、ちょっとハードルが高すぎたのかもしれない。

面白くも糞もないテレビ番組をぼんやりと眺めるままに小一時間が過ぎた頃、わたしはCDに同梱されていたMV集のことを思い出した。せっかくだからひと通り見ておくかとプレーヤーに放り込む。

想定外の出来事が起きた。

わたしは、いったいどういうわけか、そのMV集を何時間と見続けることになる。PLAY ALLに次ぐPLAY ALLが止まらなくなってしまう。最終的には『ド・キ・ド・キ☆モーニング』ばかりを20回近くリピートした挙げ句、それでもまだ不足を感じる有様であった。

ちくしょう!この手だ!この忌々しい親指が勝手に再生ボタンを押しやがる!なんという中毒性だ!ほらまた押したー!はい押したー!リンリンリン!

翌日からMV集を見るのが日課になった。脳のどこか深い部分が求めるようだった。

聴覚のみならず視覚からも情報を流し込むことによって、アイドル的な手法に対する抵抗感は日に日に薄れていった。kawaii検知器が馬鹿になってしまったのだと思う。

1週間もするとわたしの音楽的アイデンティティとやらは崩壊寸前の惨状を呈していた。ある程度のマッチョイズムと一貫性とを堅持してきたそれは、最早こんにゃく並みにグニャグニャの代物へと姿を変えていた。アイドルという異物を取り込んだ結果、質的な変化が生じたのだろう。

わたしはその変化を、しかし好意的に受け止めた。よくわからないが聴かずにはいられない音楽なのだし、まさかアイドルに夢中になるなんて自分のことながら笑えてくる体験だったからである。

似合うかどうかはさておき、たまにはピンク色の服を着てみたって罰は当たるまい。アイデンティティなど糞食らえだ。

そんなふうに考えながら、わたしはBABYMETALの1stアルバムを手にレジへと向かった。(つづく)