あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

風が吹いてくる音楽

本を読む最中に風が吹いてくることがある。とはいえ屋外で頁を繰るでもなければ、窓や扉の立て付けが悪くって隙間風が入ってくるでもない。手前のほうで勝手に吹きもしない風を感じるのである。

鉄板はスコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』の最終章だ。謎に包まれた男ジェイ・ギャツビーの波瀾曲折に満ちた人生が明らかとなり、唯一の友人である語り手が、その夢と理想と敗北とに心を寄り添わすとき、どこからか風は吹いてくる──ゆるやかな風である。追い風である。オリーヴ色の風である。

ほかにも夏目漱石『野分』、ダン・シモンズ『夜更けのエントロピー』、フィリップ・K・ディック『火星のタイムスリップ』などを読むと、それぞれにいろいろの風が吹いてくる。ひょっとしたら心の内と外とに生じる気圧の差が関係しているのかもしれない。

同じような現象が音楽を聴く最中にも起こる。

Lamb of God - Descending (Lyrics) [HQ] - YouTube
最近何枚か入手して聴くラム・オブ・ゴッド。彼らの鋼鉄サウンドが吹かしてよこすのは熱風である。おや地獄かなと、やっぱり地獄へ堕とされたのかなと勘繰ってしまうほど、からからに乾き切った熱苦しい風が総身を打つ。脳みそマッサージ器としても優れもので、突起物のたくさんついたローラーみたいなので脳みそをゴリゴリされるかのようだ。とても気持ちがいい。

Protest the Hero - Palms Read - YouTube
アルバムを買い足すにつれ好きが止まらなくなってきたプロテスト・ザ・ヒーロー。わたしは彼らの支離滅裂な楽曲のうちにしばしば海風を感じる。そうして水平線を一望する高台に立つような心持ちになる。これを生で体験すべくチケットを予約し、支払いを済ませ、メールで整理番号を受け取ったわずか数日後、来日公演がキャンセルになってしまった。何でもボーカルの喉がぶっ壊れたんだそうだ。残念すぎる。お大事にしろ。

BABYMETAL - Ijime,Dame,Zettai - Live at Sonisphere 2014,UK (OFFICIAL) - YouTube
わたしは過去に3回、この楽曲が巻き起こす暴風を生で体験している。会場全体に吹き荒れる風が目に見えるようだった。そうしてその風が空っぽになった手前の心と身体とを絶えず吹き抜けるかのようなのだった。あの感覚をもう一度味わいたいものである。

SU-METALに首ったけ

野郎どもの音楽ばかりを聴いてきた。所有するCDに占める女性ボーカルの割合はたったの数パーセントにすぎず、自信を持って聴き込んだと言えるアルバムとなるとBABYMETALを含めても10枚に届かない。

何故なんだろうと自己分析してみると、異性としての魅力が否応なしに干渉してくるのが面倒臭いからだと気づく。つまり、純粋に音楽そのものを楽しめている状態なのか、それとも程度の差こそあれ何やら甘い香りに釣り込まれている状態なのか、そのあたりの不明瞭がどうにも鬱陶しく感じられ、遠ざけてしまうのである。

無論、そうした不明瞭の領域にリスナーを引き込むのが大衆音楽の仕掛けのひとつであることは承知している。異性としての魅力とセールスとに相関性を指摘する仮説もあるくらいだし、そもそも歌や踊りが誰の何に訴求すべく生まれ、発展してきたかは、Kポップやレゲエダンスの露骨さを見ずとも想像に容易いところだ。

ごちゃごちゃうるせえなブタ野郎、じゃあBABYMETALはどうなんだとあなたは言うだろう。この際だから洗いざらい白状しちまえよと。

打ち明けて言うが、これまでは「かわいいかわいい」と念仏のように唱えておけば万事丸く収めることができていた。かわいいに便乗し、かわいいを便利遣いし、かわいいの上へあぐらをかいていたとさえ言えるかもしれない。一方ではBABYMETALの楽曲や見てくれがそのような態度を推奨していたのも事実だと思う。

ただもう無理なんじゃねえのかとわたしは思うのだ。かわいいを超えた異性としての魅力が否応なしに干渉してくる事態は最早避けられないのではあるまいか。例えばSU-METALの新ソロ曲における「わかることでしょ?」ないし「バレることでしょ?」の「でしょ?」などは、どう聴いたってかわいいの範疇を超え、思わずギクリとさせられる耳触りを帯びているではないか。

こうなった以上、全力で釣り込まれていくのが最善の道に違いない。音楽だか何だか判然としない例の不明瞭の領域に自ら踊り込んでいく姿勢こそが、結局のところ楽しみを最大化するに違いない──そんなふうに考える今日この頃である。

何にせよ、わたしはSU-METALに首ったけだ。それだけで十分だろう。こんな長々しい文章にいったい何の意味がある?

MOAMETALは語りかける

近頃BABYMETALのステージに新たな化学反応が起きているように感じられる。そうしてもし気のせいでなければ、そのシナジー効果だか何だかの中心にMOAMETALがいるように思えてならない。

わたしはあらためて自問する──MOAMETALとはいったい何者なのか? (1)それは世にも可愛らしい生きものである。(2)それは元気と笑顔と心配りとで周囲を巻き込む達人である。(3)それはYUIMETALを欠くBABYMETALにあって、何故かしら未来に希望を抱かせてくれる、言うなれば灯台の光のような存在である。

ワールドツアー初日の公演終了後だった。YUIMETALの不在に加えてダンサー2名追加の情報を得たわたしは、「うええ、マジかよ、正直もうついていけないかもしれない」と頭を抱えた。

そんなメタル好きの中年男が『紅月 -アカツキ-』の間奏で鬼気迫る格闘シーンを演ずるお姉さんたちの姿に不思議な感動をおぼえるまでに要した時間は、信じられますか、たったの2日なのだった。果たして人間は何にでも慣れる。いったん慣れちまえばこっちのものである。

しかしよくよく考えてみると、そうした速やかな馴化を促したのはMOAMETALだったのではないかと思えてくる。無論、彼女の胸のうちは読めぬ。彼女が現今どのような思いでステージに立つかを知るすべはない。けれども、彼女の元気溌剌にして才気煥発たるパフォーマンスは、SU-METALはもちろん、神バンドやダンサーのお姉さんたちをも巻き込んだ新たな化学反応を引き起こすと同時に、わたしたちファンに何やらひどく大切なことを語りかけるかのように感じられるのだ(注)

(注)ときとして人間は、猫にさえ語りかけられたかのような気分になるものだ。いわんやMOAMETALをや、である。

個人的に感じるところはあるが、つまびらかにするつもりはない。それが何であれ、わたしはMOAMETALの無言の語りかけにまんまと釣り込まれ、巻き込まれ、丸め込まれた。そうして、新体制なんだか、物語の一部なんだか、苦肉の策なんだか知らないが、BABYMETALの現在を楽しむことができている。実に有難い話だ。

さて、最後にもう一度自問してみたい──MOAMETALとはいったい何者なのか? (4)設定という分厚い壁に阻まれて憶測の域を一歩も出られないのが残念だが、たぶん、とってもいい子なんだろう。

新曲『TATTOO』の不思議

システム・オブ・ア・ダウンの音楽を語るとき、「変態」の2文字を避けて通ることはできない。サージの変態的歌唱とダロンの変態的作曲センスの邂逅、すなわち変態ミーツ変態といった音世界こそが、彼らの最たる魅力と言って差し支えないはずだ。

しかしながら、彼らがニューメタル界隈において抜きん出た人気と、評価と、尊敬とを得たのには、もうひとつ別の理由がある。楽曲のあちこちに顔を出す匂い立つような異国情緒、民族音楽のエッセンス、よくわからないが何やらアルメニアっぽい感じ──これらとメタルとの融合が世界中の音楽ファンを魅了したのである。

「特に意識したことはないね」と彼らは言うかもしれない。「何しろこの身体にはアルメニア人の血が流れているんだ。もし俺たちの音楽にほかと違う何かがあるとすれば、それはきっと遺伝子のしわざだろうな」と。

以上を踏まえてSU-METALの新ソロ曲『TATTOO』に話を転じたい。我らがクイーンの新境地が堪能できるとあって個人的には首ったけだが、しかし聴く人によっては過去にどこかで耳にしたような、割とよくある感じのハードロックといった印象を抱くかもしれない、全体としてはそんな仕上がりになっている。

それでいて驚くべきは外国人ファンの大絶賛である。おや不思議だなと思っていろいろ考えてみた結果、わたしは以下のような推論を立てるに至った。

彼ら外国人は、この楽曲に何やら東洋的な、もっと言えば日本的なサムシングを感じているのではないか。わたしたち日本人にしてみれば、自らの体臭さながら慣れっこになっていて気付くことのできない、日本式の節回しなり、空気感なり、もののあわれなりが、この米国式ハードロックを下敷きにした楽曲にしっかりと織り込まれているのではないか。喩えて言えばBBQの骨付き肉にテリヤキソースをぶっかけたかのように──おお、なるほど、彼らの大好物じゃないすか!

システム・オブ・ア・ダウンを例にとったのはほかでもない。世界で戦うには自らのルーツこそが大きな武器になるという事実に改めて思い至ったからだ。もっとも、たまには瓢箪から駒が出ることもあるだろうが。


【続・YUIMETALの不在について】
人間は信じたいものを信じる生き物である。したがってわたしがYUIMETALの復帰を信じて疑わないのも無理からぬ話だろう。しかしこれを希望的観測の一言で片付けてほしくはない。すでにいくつかのヒントが提示されているように感じられるのだ。

新曲『Distortion』の感想

待ちに待ったBABYMETALの新曲『Distortion』が先日リリースされた。「これまた随分と若々しい曲だなあ」というのが率直な感想である。

何しろメロディラインが若々しい。従来の歌謡曲の流れを汲むようなメロディラインではなく、近年のJポップのトレンドを意識したような、すなわち(1)短いフレーズの連続で畳み掛ける(2)音程をせわしなく上下させる(3)勝負どころでスタッカートを用いる、などといった特徴を持つ、言うなれば若年層の耳に届きやすいメロディラインを採用しているからだろう。

おまけに歌詞が若々しい。「汚い世界」、「偽善者」、「歪んだ痛み」など、若年層のナイーブな感性に訴えかける言葉が並ぶ。汚い世界で善人を装い続けた結果すっかり無痛症になってしまったおっさんにとっては、少々眩しいような、むず痒いような言葉がである。

こうした楽曲を作ってきたということは、それ相応の狙いがあると考えて然るべきだろう。10代20代のファンが増えるとすれば喜ばしいことだと思う。

インストに関して言えば、メタルコア、インダストリアル、Jロックからなる三色丼に濃厚なエレクトロソースをぶっかけたという印象だ。カッコイイ方面へ振り切った仕上がりだが「らしさ」を失ってはいないし、各パートの継ぎ目が驚くほどスムーズかつエレガントに出来ているのでぐいぐい引き込まれる。強いて言えば全体的に急ぎすぎの感があり、効果的なビルドアップがなされているとは言い難い点がやや残念ではあるが。

さて、数回聴くうちに早くも中毒症状が出てきた。若々しいなどと年寄りの嫉妬めいたことを抜かしつつもどうやら気に入ったらしい。正直言って期待半分不安半分だったから、この結果には大変満足している。


【YUIMETALの不在について】
先日始動した米国ツアーでYUIMETALの不在が明らかになった。もしわたしがあの会場にいたら、あるいは腹を立てていたかもしれない。やはり例のアーティスト写真と告知動画だけでは不十分だったのではないか。

ファンが望むのはYUIMETALの、いや、水野由結の幸せただひとつである。たとえそれがどのような形になろうとも、彼女が笑顔で過ごせる未来が訪れることを切に願っている。メタリカが『バッテリー』で歌うのと同じように、わたしたちは強い絆で結ばれたひとつのチームなのだから。