あんたのどれいのままでいい

BABYMETAL中毒者の手記

いよいよ巨大キツネ祭り

約1年ぶりの生BABYMETALとなる巨大キツネ祭り(SSA公演)がいよいよ数日後に迫った。

両日のチケットが手もとにあるという幸運に加えて、東京ドーム公演(ブラックナイト)での天空席から、26日は1階スタンド席、27日はアリーナと、ここへきて一気に距離が縮まってくるのだから胸の高鳴りを禁じ得ない、もとい、やだドキドキ止まんない。

しかし何しろ相手が相手である。かわいい日本代表の3トップと言って差し支えない女の子らである。みだりに距離を詰めようものなら急性かわいい中毒を発症しかねない。

急性かわいい中毒とは、短時間に多量の「かわいい」を摂取することによって生じる中毒(オーバードーズ)である。中毒状態に陥った者は、固まる、震える、泣く、叫ぶ、記憶をなくす、性欲が減退する、言動が少々オネエっぽくなる、年甲斐もなく大はしゃぎするなど、いろいろの症状を呈する。(Wikipediaより引用)

何はともあれ、26日と27日の2日間、わたしは現実世界からの逃亡を企てる。なりふり構わぬ全力疾走でねずみ色の日常を置き去りにし、かわいいとメタルとが融合するあの場所へ行方をくらますのだ。

無神論者にして米国ヒューマニスト協会の名誉会長でもあった作家のカート・ヴォネガットは、架空の嘘っぱち宗教と世界の終わりとを描いた小説『猫のゆりかご』の冒頭で以下のように述べているーー「無害な非真実を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」

また、無類のジャズ好きとして知られたヴォネガットは生前、自身の墓石には以下のような碑文を刻んでほしいと語ったーー「彼にとって、神が存在することの証明は音楽ひとつで十分であった」

これらの至言を混ぜ合わすとき、わたしは洗面所の鏡に映る中年男の思考なり、選択なり、行動なりの妥当性を、あるいはその必要性を、苦笑まじりに認めてやらずにはいられないーーハハッ! おっさんこの野郎! いろいろ言いたいことはあるけれども、まあ、あれだ、結局のところBABYMETALとの出会いは必然だったんだろうな! さあ行ってこい! 思いっきり楽しめ!

例によって会場では隣の席の人などに話しかけるつもりである。ちゃんと空気を読むのは無論のこと、下心も後腐れもございませんので、どうかしばしお付き合いいただければ有難いです。

タイムマシンは実在する

部屋にフー・ファイターズのポスターが吊るしてある。引っ越して間もない頃に購入したものだから、かれこれ10年来の付き合いになる。

けれども10年前というと、わたしの音楽的関心はすでにフー・ファイターズを離れ、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジフー・マンチュー、サウンド・ガーデン、メタリカなどに及んでいた。では何故フー・ファイターズだったのか? どうして毎日嫌でも目にするポスターにフー・ファイターズを選んだのか?

まあ聞いてほしいーーそれはわたしがデイヴ・グロールという男を特別視していたからにほかならない。

何しろわたしがフー・ファイターズを聴いていたのは個人的に言って少々苦しい時期だった。糞溜めに胸まで浸かって朝昼晩カレーを食うような日々だった。そんな悩ましい日々に寄り添ってくれた楽曲たち、それらをこしらえたデイヴという男に、わたしはなおも恩義を感じていたのだ。だからこそポスターを部屋の壁に吊るしてルームメイト気分を味わうことにしたのである。

再出発の決意に満ちた1枚目、マジ半端ねえ名盤と評すべき2枚目、ポップなセンスが炸裂する3枚目、一転してストーナー方面に寄せた4枚目ーーデイヴこの野郎! あんたに何度泣かされたか!

先日、そんなデイヴ・グロール率いるフー・ファイターズとBABYMETALのズッ友写真が公開された。

わたしはそこに過去と現在とがひとつになるのを見た。かつてのヒーローが現在進行形の夢を後押しし、いっそう輝かしい未来へと送り出す瞬間を目撃した。

どうやらタイムマシンは実在するらしい。無論、それは厳密な意味でのタイムマシンではないが、しかし過去と現在とをしれっと結わえつけるの性質においてタイムマシン的な何かであり、おおらかな気持ちで見ればほとんどタイムマシンである。しかも有難いことに、わたしたちはそのタイムマシンに便乗することができるのだ。年齢、性別、国籍不問! 未経験者大歓迎! アットホームな雰囲気の現場DEATH!

まあ聞いてほしいーーそれはさながら巡礼の旅のようでもある。偉大な先人たちを訪ね、尊崇の念と、恩寵への感謝とを表明すると同時に、見果てぬ夢に向けてさらなる飛躍を誓う、一種の信仰的な道行きと言っていい。しかも有難いことに、わたしたちはその旅に便乗することができるのだ。

便乗ばかりしやがってこの野郎、少しは自分でも努力しろっつー話になってくるが。

正直嫉妬せざるを得ない

二十歳やそこらの若々しい自分でBABYMETALに出会いたかった。当時のフルーツゼリーみたいな感受性でもってBABYMETALを体験できたなら、それはそれは愉快だろうと思うのだ。

しかし何しろ手立てがない。おっさんの心と身体とをいっぺんに若返らせるなど最先端のテクノロジーをもってしても不可能である。そこでわたしは例のタイムマシン(ミント味)に乗って学生時代の自分を訪ねることにした。あの野郎にBABYMETALを体験さして何がしかの感想を引き出してやろうという魂胆なのだった。

薄曇りの午後だった。若者たちの訝しげな視線を独り占めしながら赤煉瓦の上を歩いていくと、学食前のベンチでうつ伏せになって眠りこけている男が目に入った。ぼさぼさの金髪、薄汚い古着のジャージ、裾がほつれたリーバイスを腰で履き、斜めにすり減ったナイキの底をこちらに向けている。一目見てあの野郎とわかった。

おいと声をかける。わずかな反応がある。ややあって野郎はベンチに肘をついてのろくさと起き上がり、大きなあくびに何度か邪魔された末にようやくのことで煙草に火をつけた。そうして煙草をくわえたまま、夢の続きでも見るようにぼんやりと前方を眺めている。

その様子を見たわたしは前置きの一切を端折ることを思いついた。それが何であれ音楽に関しては一定の反応を示すだろう確信も背中を押した。わたしは懐からスマホを取り出すと、いまだ半分夢のなかにいる野郎の鼻先にBABYMETALのライブ動画を突きつけたのだった。

野郎は終始無言、無表情のうちに人生初のBABYMETALを体験した。それからまるで猫のくわえてきた何かを見るような苦笑いを浮かべて言った。「まあ、あんたが何者なのかはこの際どうでもいいよ。ただこれは糞だな。メタル風のアイドルなんてどこの誰が考えたか知らないけどさ、はっきり言って超ダサいから。マジありえないから。ハハッ、何だよあれ、お遊戯会かっつーの」

これには思わず手が出た。野郎も負けじとやり返してきた。その後の展開はご想像の通りである。わたしは自らの誇りと女の子たちの名誉のために闘い、そうしてーー

以上の苦々しい経験を踏まえてわたしはこう言いたい。10代や20代のBABYMETALファンの皆さま、あなたたちは偉い。末頼もしい。正直嫉妬するくらい見る目がある。若い頃のわたしとは大違いだ。

曲がりなりにもメタル好き

曲がりなりにもメタル好きのBABYMETALファンとして、ここらでお気に入りのメタル部分についてあれこれ書き散らかしておきたい。

シンコペーション』のツーバス連打
ロック色の強い楽曲にあって発作的に暴走するかのようなツーバスの連打がたまらない。「ムラムラしてやってしまった。反省している」というお決まりの供述をどこか彷彿させる。

『紅月-アカツキ-』のバッキング
ややこしいブリッジミュートが山盛りである。それでいて一本調子に陥ることなく、歌詞内容が提示するところの感情の動きにぴたりと寄り添い、ときには激情に駆られるかのように、ときには穏やかに語りかけるかのように、緩急自在にしてエモーショナルな刻みを終始聞かせてくるのだから胸がいっぱいになる。

『イジメ、ダメ、ゼッタイ』のイントロ
哀感漂うスキャットから一転、ガトリング砲のごとく速射されるあまりにも破壊的でメタリックなフレーズに鋼鉄魂が震える。ちょっと弾いてみたい気持ちもあるにはあるが、どうせ右手が全然動かないんだろうからよしておく。

『Road of Resistance』のライトハンド奏法
かつては嫌悪していた自慰主義的なピロピロ芸がこうも琴線に触れてくるとは思わなかった。太鼓のブラストビートを含めた熱量が、いや、光量がちょっと尋常ではない。たくさんのストロボライトが烈しく明滅するかのような、何やら妙にまぶしい感じがするのだ。

『KARATE』のAメロBメロ
例のヘヴィでグルーヴィなリフは無論のこと、その後に続くAメロBメロのメタルメタルしいインストも特筆に値する。やや紋切り型の感こそ否めないが、1番と2番とで構成をテレコにするひと捻りにより、それぞれのメロディをいっそう引き立たすことに成功している。ちなみに最もお気に入りなのは2番のAメロ。

『メギツネ』のコンコンコッココンコンコッコン!!
メタル音楽の魅力のひとつはマニアックな「刻み」及び「キメ」にあるとわたしは考える。したがってメタル好きがカッコイイと感じるキメの部分に、いかにもアイドル的で可愛らしいキツネの鳴き声を乗っけた時点で、すなわちこの「コンコンコッココンコンコッコン!!」が何者かの頭に浮かんだ時点で、BABYMETALの掲げる「アイドルとメタルの融合」はすでに完成の域に達していたのではなかろうかーーそう思わずにはいられない鮮やかな手口である。

ライブ行きたい

5大キツネ祭りへの参加が夢と消えた土曜日、わたしの心と体とは底の抜けたペール缶のように行き抜けになってしまった。

みぞおちの辺りが馬鹿にすぅすぅし、何を飲み食いしても満たされず、結局のところアンラッキーとしか名状しようのない、それ以上でもそれ以下でもない現実の明快さ、素っ気なさ、デリカシーのなさに毎度ながら嫌気がさすのだった。「なんでだよ、ライブ行きたいのに」ーー気のせいでなければ、わたしは自分がそうつぶやくのを幾度か耳にした。

何しろ東京ドーム公演の大はしゃぎから8ヶ月である。待ちに待った小箱ツアーを逸するとなると、さらにどれだけの時間をみぞおちのすぅすぅするまま過ごさねばならないのか。

ここで想起せられるのは映画『マグノリア』の一場面にほかならない。決して叶わぬ恋と知りながら、親子ほども年の離れたゴリマッチョなバーテンダーに想いを寄せる冴えない中年男、ウィリアム・H・メイシー演じる家電販売員の悲痛な叫びが、わたしの脳内にこだまするーー「愛はこんなにいっぱいあるのに、その持って行き場がわからないんだ!」

深々と共感せざるを得ない。彼にとってのゴリマッチョ、わたしにとってのBABYMETAL、そこにどれほどの違いがある?

巨大キツネ祭り開催の一報が飛び込んできた昼休み、したがってわたしは1マイクロ秒も躊躇しなかった。なんやかんやの煩瑣な手続きをやっつけて後日例の長々しいTシャツを入手すると、ザワン先行チケットの抽選へ駒を進めたのである。その結果はーー

おや? なになに? やったー! さいたまスーパーアリーナ2日とも当たったぜー! なるほどなるほどー! これが噂に聞くラッキーってやつかー! キツネの神様あざーす! 行くぜ埼玉!

ちなみにこのとき、わたしの脳内ではスピッツの名曲『正夢』がわんわん鳴り響いていた。重症である。ほとんど恋の病と言っていい。

さて、当ブログは本日しれっと再スタートを切る運びとなった。先のごたくさにより見物客に糞を投げつけるゴリラの胸中がおおむね理解できたことをご報告させていただく。糞の被害に遭われた皆さまへーーハハッ! アンラッキー!