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あんたのどれいのままでいい

とあるBABYMETAL中毒者の手記

BABYMETALはヘヴィメタルか?

愚問である。メタル歴10年弱の鼻垂れ小僧にさえ、自信満々でこう断言することができる。お嬢さん、ご安心なさい、あれは正真正銘のヘヴィメタルなんですよと。

しかし一方で「BABYMETALはメタルに非ず」と息巻く人々が世界中に数多く存在する。彼らの主張はおおむね以下の4つに集約されるようである。それらひとつひとつに対してわたしなりの見解を述べておきたい。

「こんなのただのアイドルだろ」
メタルをまったく聴かない人の耳にはそう感受せられるらしい。

「金儲け主義の作りものだ」
作りものには相違ない。しかしわたしの見立てによると、BABYMETALは商売人ではなく一流の趣味人の手になる作りものである。

「自作自演のバンドではない」
わたしも自ら作った楽曲を自ら演奏する「バンド」という形態に強い思い入れを抱く人間のひとりである。だから気持ちは理解できるし、その拘りさえ取っ払ってしまえば、あとはもう薄笑いを浮かべながら真っ逆さまに堕ちていくだろうことも、ついでに予測できる。

「カワイイはメタルの精神に反する」
映像作品やファンカムを観ると、ゴリゴリのメタラー連中がBABYMETALに首ったけなのがわかる。個人運営の著名なレビューサイトをいくつか巡ってみても、過去に何万曲とメタルを聴いてきた猛者たちがBABYMETALに軒並み高評価を与えている。この違いはいったい何なのだろう。かたやメタルの精神に反するという。かたや革新的かつ本格的で面白いグループだという。単なる好き嫌いの問題なのか、それとも度量の差なのか。

冒頭で述べた通り、わたしはBABYMETALを完全なヘヴィメタルと考える。何しろツーバスの連打が聞こえる。多弦ベースがうねりまくっている。ややこしいブリッジミュートが右から左から打ち寄せてくる。これをメタルじゃないと言うのはさすがに無理だ。甘ったるいチョコレートと生クリームとでコーティングされているにせよ、ステーキはステーキなのだ。

無論、良くも悪くもJポップ的に洗練された楽曲構成、直ちに口ずさめてしまうほどキャッチーなメロディなど、ヘヴィメタル本来のゴツゴツとした質感、すなわち一種の冗長さや頑迷さ、無骨さ、気難しさ、近寄り難さのようなものに欠けるのも事実だろう。

だから何だ。BABYMETALはおもてなしの国で生まれた新しいヘヴィメタルである。少しくらい気が利いていたって何ら不思議はない。

アイドルってすげーなー

これまでに何度となく述べた通り、わたしはアイドルを度外視して生きてきた。それは人生のかなり早い段階で「興味なし」の箱に仕分けられた何だかんだのひとつなのだった。

ところが昨年の春、状況は一変した。女の子たちの画像で日々目方を増すスマホひとつをとってみても、わたしがBABYMETALのアイドル的側面にまんまと丸め込まれ、すっかり骨抜きにされ、手乗り文鳥さながら手なずけられているのは最早争うべからざる事実である。

こうなってしまった以上、アイドルの特長や特質について少々論じておくのが道理だろう。

第1にかわいい。震え上がるほどかわいい。しかも過酷なトレーニングの成果と思しき顔芸や発声を含む挙動のひとつひとつがいちいち可愛らしい。かわいいのが可愛らしく振る舞うんだから無敵であり、お手上げであると同時に、ほとんど猫である。

第2にあれだけ繊細かつハードに踊りながら歌う。もしあなたが楽器経験者ならば、複雑な演奏をこなしながら歌うことの難しさをご理解いただけると思う。要はそれと同じで、女の子たちは、ジミヘンやメタリカのジェイムズ、ローリー寺西などの抜きん出たギターボーカルに引けを取らない離れ業、すなわち極めて高度な「ながら作業(マルチタスク処理)」を、歌と踊りとで実行しているのである。

第3に代償行動の対象として打ってつけの存在である。何しろ独身のおっさんがファンを公言し、大はしゃぎで応援し、ブログに長々しい文章を書いたところでせいぜいキモがられる程度で済む。一般人を相手に同じことをやったら警察沙汰である。つまりアイドルとは文字通りの偶像であると同時に広い意味での福祉であり、また一種の減圧弁でもあるのだろう。

BABYMETALに出会って1ヶ月余りが過ぎた頃、わたしは以下のような洞察を得るに至った。(1)この内心の無闇に浮つく感じはどこかしら片想いに似ている。(2)この生活の妙にうるおう感じは猫を飼っている状態に近い。(3)そら毎日が楽しいに決まっておる。

結論:実際に体験してみるとアイドルってすごい。感心した。

ひとつ残念なお知らせがある。わたしは、しかしだからと言って、ほかのアイドルを試す気など毛頭ない。違うからだ。BABYMETALとは全然違う。あんなのは3秒と聴いていられない。

メタリカさん

若い頃のわたしはヘヴィメタルを毛嫌いしていた。生まれて初めて見聞きしたメタルバンドがあのエックスだったからである。

見た目、音楽性、世界観、何もかもが生理的に無理であり、足がすくむほどの文化的隔絶を感じた。そうして「ヘヴィメタル=化粧した男たちがうるさい演奏をやるところへ金切り声が乗っかってくる音楽」という固定観念が出来上がってしまった。

時は流れて学生時代である。学園祭で軽音サークルのメタルバンドを観たときも、金髪にピアス、古着のTシャツに薄汚れたデニムを穿き、オルタナティブ・ロック界隈の住人を気取っていたわたしは、それを単に仰々しくて野暮ったい音楽とみなした。もっとも、同じくギターをたしなむ者として、またバンド小僧の端くれとして、その絶望的なまでの技量の差に人知れず打ちのめされはしたが。

そんな不心得者をメタル界隈へ引っ張り込んでくれたのがメタリカだった。

初めて『フューエル』を聴いたあの夜の静かな興奮を、わたしはいまだに忘れられずにいる。「おや? 普通に聴けるんですけど?」と、わたしは眉間にしわを寄せた。「ていうか普通にかっこいいんですけれども?」

しかし何故メタリカだったのか。何故『フューエル』を選んだのか。何故20代後半にもなってヘヴィメタルにチャレンジしたのか。人生は「?」の連続である。

とりあえず『リロード』と『セイント・アンガー』で耳を慣らすうちに『デス・マグネティック』が発売された。それを聴いたわたしはメタリカに全幅の信頼を寄せるにいたった。かつて『孤独の円盤』を読んでひとりの人間としてのシオドア・スタージョンが大好きになったように、あるいは『マグノリア』を観てポール・トーマス・アンダーソンの才能に疑いの余地がないことを悟ったように。

要するに恩人なのだ。現在のわたしがメタル好きなのは、メタリカがわたしの固定観念を叩き壊すのみならず、ヘヴィメタルの「いろは」を教えてくれた結果にほかならない。もしあのおじさんたちに出会っていなければ、当然ながらBABYMETALのファンになる未来も訪れなかったはずだ。

先日、そんなメタリカとBABYMETALのズッ友写真が公開された。笑い泣きという現象はそう頻繁に起こるものではないが、しかしあの一連の画像には、わたしの腹の皮をよじれさすと同時に涙腺をこじ開ける何かがばっちり写っていた。

そのときのわたしの反応を顔文字を用いて表現する。ヽ(;▽;)ノ 「すげー! マジかよ! メタリカさんノリノリじゃないすか!」

2枚のアルバムを語る

今日までにBABYMETALのアルバムを2枚合わせて500回は聴いたはずである。繰り返し聴くなかで当初はぐにゃぐにゃしていた印象や評価が少しずつ固まってきた。

ここらでそれぞれを総合的に語ってみたい。

1枚目の『BABYMETAL』は「メタルとアイドルの融合」を強く意識して制作されたように思われる。メタルのど真ん中に切り込むんだといった野心や当事者意識はほとんど感じられず、あくまで俯瞰的な、ある意味では部外者的な立場から各種素材をコラージュし、何にしろ新奇なものを世に送り出すことに主眼が置かれている。

こうした姿勢によって『ド・キ・ド・キ☆モーニング』や『いいね!』に代表される実験的かつ挑発的なクロスオーバーが実現した。また、メタル音楽に対する愛のあるいじり、パロディやオマージュ、女の子たちの若さを逆手に取ったような切り口が随所に散りばめられるなど、全体としてほどよく肩の力が抜けた、遊び心満載の作品に仕上がっている。

一方で2枚目の『METAL RESISTANCE』は「サブジャンルとしての『カワイイメタル』の確立」をテーマに制作されたような印象を受ける。前作との決定的な違いはその当事者意識の高さにあり、あくまでメタル村の住人として、ジャンルの一構成員としてのBABYMETALを世に知らしめることに主眼が置かれている。

また、女の子たちの年齢的、技術的な成長にともなって過剰な少女趣味やアイドル性が取り除かれ、さらに多くのリスナー、とりわけメタルファンに訴求する普遍的かつ本格的なアプローチが採用された。こうした舵取りによって前作のカオス感や遊び心は多少薄れたものの、全体としてはしっかりと抑制の効いた、統一感のある作品に仕上がっている。

どちらが上だ下だと順序付けするつもりは寸毫ない。中学校と高校の卒業アルバムを見比べてうんぬんしたって仕方がないのと同じである。強いて言えば2枚目のほうを多めに聴いたような気もするが、まあ誤差の範囲と言っていい。いずれも非常によく出来たアルバムである。

さて、3枚目はいったいどのような内容になるのか。発売予定日だけでも教えてくれたら助かる。たとえそれが何年後であろうと、わたしは毎日カウントダウンのセレモニーを執り行うだろう。

個人的にはディスコがほしい。是非とも70年代ディスコとメタルの融合をお願いしたい。何やらとんでもないことが起こる予感がするのだ。

今年の漢字は「狐」

わたしが所有するBABYMETALのアルバムに異変が生じている。

台風16号が関東地方に大雨を降らせたあの夜からというもの、ライブ盤に勝るとも劣らない生々しい音を鳴らしてよこすようになったのだ。

記憶である。いまだ胸のうちにくすぶる東京ドーム公演の記憶がCDの音に特殊なエフェクトを施し、一種の知覚異常を引き起こしていると見てまず間違いない。

この現象に打ってつけの比喩があるにはある。しかし露骨な下ネタになってしまうので誠に遺憾ながら自粛させていただく。何にしろ架空のライブ感が上乗せされて聞こえるのだから有難い話だし、おかげで賞味期限がずいぶん延びたように感じられる。

キオク、きおく、記憶と言えば、最近ふと大事なことを思い出した。

わたしはあの頃のどこかで少々無理をした。自分をひん曲げてでもBABYMETALのファンになってしまおうと腹をくくったのである。

何しろ若い女の子たちが自分の好きなメタル音楽に一生懸命取り組んでいるのが嬉しかった。ステージの上下を問わず加齢臭の充満するメタル界隈に甘酸っぱい香りを持ち込んでいるのが有難かった。糞の山という形容がまだ手ぬるいと感じられるほど堕落しきった日本の大衆音楽に一石を投じているのが痛快だった。

もし電車で偶然隣り合わせた女子中高生がカート・ヴォネガットシオドア・スタージョン、あるいは夏目漱石夢野久作なんかを熱心に読んでいたら、わたしは嬉しくて仕方がないだろうと思う。例の不審者情報を配信される危険を冒してまで声をかけたくなるかもしれない。

「20日午後、小田急線の車内にて中年男が女子生徒に声をかける事案が発生。男は女子生徒が読んでいた文庫本を指差して『ありがとう』と言ったのち、満足げな表情を浮かべて降車した。なお、男は奇妙なヒゲを生やしており(以下略)」

そういうものだ。いや、そういうものだ。

唯一にして最大の障壁はBABYMETALのアイドル的側面、すなわち獰猛なまでの可愛らしさにあった。わたしは以下のようなマントラを唱えて自らを奮い立たせたーー「慣れだよ慣れ。慣れちまえばこっちのもんだ」

その結果がご覧の通りの有様である。今年の漢字は「狐」をおいてほかにない。